旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。
3月2日(木)
朝11時、隣のホテルまでシャンガールを迎えにいき、タクシーでシェエダゴン・パヤーへ連れていく。彼女はヤンゴンに来たのはン十年ぶりで、シェエダゴン・パヤーに一度も行ったことがないというので連れていくことにした。ミャンマーの仏教徒にとっては、ムスリムにとってのメッカのような場所だから、さぞかし感動するだろうと思っていたのだが、意に反して彼女の反応はあっさりしたもので、自分の誕生曜日の仏像にお参りをすませると、さっさと退散してしまった(微苦笑)。ただ「Are you happy?」と尋ねると、「Yeah, happy」と答えてくれた。その後、寝仏で有名なチャウッターヂー・パヤーへ。こちらでも彼女の反応はあっさりしたものだったが、シェエダゴン・パヤーよりは喜んでいたかな? 他にも色々連れていこうと思っていたが、あまりの暑さに私が脱水症状に陥ったので断念。一緒に昼食を食べた後、ホテルに帰って寝る。ホテルで休んだ後、夜7時、彼女と一緒に夕食を取りに昨夜に引き続き屋台街へ。この日も彼女はタイ料理を食べたがった。聞けば、彼女は油が多すぎて辛すぎるミャンマー料理があまり好きではないらしい。今後の予定を聞くと、明日、もっと安いホテルに移って、しばらくヤンゴンに滞在して職探しをするのだという。あてはあるのか?と尋ねると、ネットで調べるから大丈夫という返事。いや、久しぶりにこんな大都会に出てきて、なんと逞しいことよ、とかなり感心。なんとかして彼女のためにいい旦那さんを見つけてやりたいと心に誓う。食後、彼女と別れてホテルに帰って、寝る。
3月3日(金)
朝10時半、彼女を見送った後、ホテルに戻って爆睡。昨日の疲れが一気に出た感じ。夕方6時半、女性との待ち合わせ場所であるJunction Centerへ……が、待てど暮らせど、女性はやって来ない。電話をかけても繋がらない。そのうち明日会う予定だった女性からキャンセルの連絡が入って、泣きっ面に蜂。結局、7時半まで待ったが、諦めて帰路に着く。その後、シャンガールが泊まっているホテルに立ち寄って、一緒に夕食。タイ料理にも飽きたのでベトナム料理の店に連れて行ったが、彼女の反応は芳しくなかった(微苦笑)。どうやら口に合わなかったようだ。後で聞くと、「軽い」という返事。やっぱり油が少ない料理はちょっと駄目なようだ。物凄い徒労感を抱えてホテルに帰る。
3月4日(土)
朝11時にダマレキタ僧院へ。土曜日の授業は初めて行ったが、N5に合格してN4を目指している生徒のためのクラスのようだ。知った顔もちらほら。聴解を手伝って2時に早々と辞去。去り際、生徒たちが、ありがとうの歌? を歌ってくれた。タクシーでレーダンセンターへ行って、2月13日に会ったSさんと会う。Sさんが「お八つ食べませんか?」と言うので、ついていくと、麺類を売っている店に連れられいった。夕方に食べるご飯は「お八つ」とは言わないのだが……が、それだけならまだしも、彼女は私のために三つも料理を注文した。しかも全部麺類(涙)。食べられるわけないじゃん……と思いつつ、相手の好意を無碍に扱うわけにもいかず、無理して口に運ぶ。ここからが本題。Sさんは4月に日本に行って日本語学校に通う予定だったのだが、過去、実習生として日本に行ったことがあることを理由に留学ビザの発給を断られてしまったのだという。日本語学校で日本語を学び、その後、ファッション関係の専門学校に行って、もしも叶うのなら日本でファッション関係の仕事に就いて経験を積んだ後、ミャンマーに戻って、日本のファッションの店を開く計画で、そのための資金も既に貯めているのだという。だからこそ今回のビザ発給停止は痛い。もう一つ。彼女には新聞記者をしている彼氏がいるのだが、父親が家柄の違いを理由に結婚に反対しているのだという。また彼女自身も彼氏に今の仕事を辞めて欲しいと思っている。ミャンマーでは新聞記者というのは危険な仕事で、実際、彼氏の同僚で殺された人もいるそうだ。仕事でもプレイべートでも壁にぶつかった彼女の話を聞いて、色々しんみり。彼女と別れた後、同じくレーダンセンターで女性と会い、建物の中のカフェで面談……が、詳しくは書けないが、彼女との契約は止めにした。その後、シャンガールが泊まっているホテルに行って、一緒にタイ料理屋で夕食。食欲のない私はビールだけ。結局、ヤンゴンではいい仕事が見つからず、タチレクに帰ることにしたそうだ。故郷で私が旦那さんを見つけてくれるのをひたすら待つのだという。疲れ果ててホテルに戻り、爆睡。
3月5日(日)
夕方3時、女性との待ち合わせ場所であるホテルシャングリラへ。彼女が昨年の5月に会ったKさん。あれからも色々アドバイスをいただいたので、お礼にお茶を奢ることにしたのだ。ホテルの中のカフェで歓談。が、開口一番、彼女が「日本に行くことになった」と言って腰を抜かした。なんでも公共政策の研究のために、奨学金を得て、日本の某大学に留学するそうだ。「勉強が好きなのか?」と尋ねると、彼女は目を丸くして、「No」と答えたので、今度はこちらが目を丸くした。とにかく激務から逃げ出したいだけなのだそうだ(微苦笑)。日本での再会を約束して別れる。その後、ホテルに帰って爆睡。そろそろ体力の限界を超え始めた。
3月6日(月)
朝9時、シャンガールを見送った後、11時に女性との待ち合わせ場所であるマハバンドゥラ公園へ。ミャンマーに来る少し前にFacebookで知り合い、なんとかして面談にこぎつけた女性である。凛々しい感じの人で、意中の人でもあった。こういう女性はなかなか来てくれない。初めて顔を合わせた彼女は、写真の印象と違って、非常に気さくでよく笑う女性だった。つつがなく面談を終了した後、一緒にヌードルを食べに行ったのだが、その道すがら、私の荷物を持ってくれたり、日傘を差してくれたりと何かと親切にしてくれた。ヌードルを食べている間も色々おすそわけしてくれた(量が多いので、正直、これには迷惑だったがw)。仕事を忘れて楽しいひとときだった。ホテルで昼寝した後、夜7時、Bさんがお土産を携えてホテル近くまで来てくれた。仕事の関係を忘れて、今ではすっかり仲良し。二人で屋台でスイーツを突きながら歓談。なんでもBさんは近々某日本企業に転職して、7月に来日する予定なのだという。まさに日本に一度も来ずに日本語を習得し、日本企業のオフィスワークに就くロールモデルだ。私は高い金を払って日本の日本語学校に留学するよりも、彼女のようなキャリアを強く推奨したい。再会を誓って一旦お別れ。ホテルに帰って爆睡。
3月7日(火)
午前中、お土産を買う気満々だったが、そんな元気もなく、ホテルの部屋でごろ寝。夕方5時半、タクシーで知人のSさんのところへ行く。Sさんは20年前に家族で来日して、日本人男性と結婚して日本で暮らしている。諸般の事情により、今回、久しぶりにミャンマーに帰ったのだが、もはや人間関係も食事も合わず、家族以外の誰とも会わず家の中でそーめんを啜って、ひきこもり状態にあるのだという(微苦笑)。今回は29歳の姪の女の子を紹介してもらった。ムスリムなのだが、その中でもライトなムスリムで、スカーフもまとわず、異教徒との結婚もOKで、飲酒もOKで、自分は豚肉を食べないが家族が食べるのはOK……という感じらしい。ミャンマーの法律が変わって、現在、仏教徒とムスリムは結婚できないので、超少数派のライトムスリムの人々は結婚相手探しに難儀しているのだという。Sさんには食事もご馳走になった。名前は忘れたが、カレー粉をまぶして、豚肉、ゆで卵、スパイスの入ったヌードルで、油をまったく使っておらず、恐らくミャンマーで食べたものの中では一番美味しかった。油を使わなければ、ミャンマー料理ってこんなに美味しいのか! と感動。買い物に行くSさんたちとスーレーパヤーまで一緒に歩いてお別れ。ホテルに帰って爆睡。
3月8日(水)
昼の12時、以前よりメールをくださっているNさんに会いにCホテルへ行く。ホテルの前で煙草を吸って待っていると、人込みの中からNさんが現れ、「ハマモトさんですか?」と声をかけてきた。ちょっと気難しい人を想像していたところ、爽やかなイケメンが現れたのでびっくり。今回はネットで知り合ったミャンマー人の友だちに会うために来緬し、そのついでに私と顔を合わせることになったのだ(が、結局、女友達とは会えなかったようだ)。ベトナム料理店で歓談。話の内容はプライバシーに関わるので言えないが、こういう人が来てくれたらいいな、と切に思った。35歳を超えた日本人が結婚する確率が男女ともに3%ほどらしいから、それでも結婚したいというのなら、もう外国から連れてくるしかないと思う。幸いにも(?)、男性がだらしないおかげで(失礼。でも事実)、ASEANには妙齢の独身女性が溢れている。もちろん文化や言葉の壁を超えるのには骨が折れるが、日本人男性と結婚しているミャンマー人女性何人かに会って話を伺ったところ、時には喧嘩しながらも、なんとか上手くやっているようだ。それは日本人同士の夫婦となんら変わらない。夕方3時、タクシーに乗って、ミンガラドンのMさんの家へ。私の会社に登録したい女性がいるということで、その母親と会ったが、写真を見せてもらったところ、恐ろしく幼い。年齢を聞くと16歳ということで、即刻お断りする。その後は、空港に行く時間までダラダラ。iPodで美空ひばりの「川の流れのように」を聴いていると、泣けてきた。思い通りに女性を集めることはできなかったけれど、ま、全力を尽くした結果だから仕方ない。
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