第二回ミャンマー視察(2016年5~6月)(2)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第二回ミャンマー視察(2016年5~6月)(1)

5月18日(水)

午前中、ホテルのロビーでTさんと話し込む。ヤンゴンからマンダレーへ行く列車でボラれたので、帰国したらミャンマー政府に厳重に抗議しにいくと騒いでいた。「大金持ちなのに小さな人間やなあ」と思ったが、色々話を聞いていると、毎年社員を10人ほど東南アジア一ヶ月旅行に連れ出したり、外国人に日本人と同じ給料を払ったり(しかも住み込みだから食住はタダ)、宿の住み込みの女の子に毎日3ドルほどのお菓子を買ってきたり、いいところもいっぱいある人だった。「彼女たちの月給はどれくらいなんや? 100ドルくらいか?」と尋ねられたので、「たぶん30ドルくらい」と答えると絶句していた。彼女たちは愚痴一つ零さず毎日早朝から深夜まで働いているが、愚痴も出ないというのは、それだけ世間を知らないということである。恐らく学校も小学校しか出ていないだろう――が、そんな彼女たちを出稼ぎなり、嫁さんなり、日本に連れていこうとしても、家族や友だちから離れては生きていけないので無理なのである。午後、再び例の弁護士ビルに向かう。まず初老の弁護士二人に相談。二人とも私の話を聞くと苦笑し、首を捻りながら、「まあ、大丈夫なんじゃないの」と答える。次に訪れたのは先の二人に比べて大きくて綺麗な事務所に勤める美人女性弁護士……が、彼女は私の英語をまったく理解せず、通訳を連れて出直してこいといわれる。かなり優秀そうな感じでピンと来たので、後日、出直すことに。宿に帰って香港人のヘンリー・チャンと談笑。途中で大阪の社長も加わって、日本語と英語のチャンポンで訳の分からないことになる。ヘンリーとFBで友達になって、彼のページを見てみると、「原來日本周文健係做婚姻介紹,等我以為係殺手或特務之類,真係令人失望」と書いてあり、翻訳を読むと、「一週間の日本オリジナルの男は結婚は金が導入され, 私の考えはキラー又は代理人は何か, 本当にがっかりだ」とあった。さては漢字が読めないと思って俺の悪口を書いたなと思って問い質すと、「君は香港映画の『City Hunter』に似ているという意味だ」という返事が返ってきた。あれは日本のアニメだっての。

件の女の子たちは農村部から出稼ぎです。私が貧困層の女性との結婚は止めておけと繰り返し述べているのは、彼女たちの交流から来るものです。たしかに愛おしい子たちなのですが、教育水準の低すぎてミャンマー語の読み書きすらできず、視野も狭く、融通もまったく利きません。日本に連れてきて配偶者とするのは非常に難しいでしょう。

5月19日(木)

恐らく昨晩の魚フライの油のせいで、夜中に持病の胃炎が発病して、ひとしきり吐く。Tさんはわさびのフリカケと「ファシズムの臭いがするでえ」というセリフを残して日本に帰っていった。私は通訳探しに出かける。前回会ったコンサルタントのTさんの「このへんに日本語が得意な奴がおる」という言葉を頼りに、宿の近くを探索すると、ミャンマー・コンパス・ツアーとカタカナで書いている看板を発見。中に入ると日本語堪能な中年男に迎えられ、事情を話して通訳を頼むが、本人は多忙で時間がなく、友達に連絡してみるといわれた。宿の8階のルーフで時間を潰していると、突然、不穏な空模様になり、大粒の雨が降って来た。雨季に入ったのだ。昼食から帰ってきてメールを開けると、旅行代理店の男性からメールが入っていて、皆忙しくて適当な人物が見つからないという返事。仕方がないのでネットでヤンゴン在住のミャンマー人日本語通訳を探してみると、結構料金が高く、これならばこの案件に最適な弁護士を見つけ、然る後、通訳を見つけたほうがいいと判断。マンダレー行は再来週に伸びそうだ。夜はヘンリーと一緒にBBQストリートへ。彼は映画の脚本を書いていたのだが、仕事を辞めて、旅に出たそうだ。タイのお寺で一ヶ月修行して仏教徒になり、酒も煙草も止めていた。そんな彼は私の婚活事業に興味を持ち、副業として俺も香港でそれをやる、俺の女友達を日本人男性に紹介しようと言ってきた。なんでも現在の香港は政治情勢が不穏で、逃げ出したいと思っている人たちが沢山いるらしい……が、それにしても彼も私の英語を理解せず、意思の疎通に苦労した。そんなに発音が悪いとは思わないのだが。

この三年後香港は本当に大変なことになりました。

5月20日(金)

完全休養。ミャンマーでは無理にでも休まないと体調崩すからねえ。午前中はボーヂョー・アウンサウン・マーケットを冷やかして、コットンのシャツを買う。9500チャット。それにしてもミャンマーの女性の服は種類も豊富でファッショナブルなのに、男性の服は地味だ。ホテルに帰る途中、スコールに遭う。ミャンマーの雨季は晴れ時々台風という感じで、道路は完全に洪水状態。不覚にも傘を忘れた私はずぶ濡れになってホテルに戻る。午後は何をしていたか覚えていない……夜、ヘンリーとスーレー・パヤー近くのビアホールで飲む。副業として婚活事業に乗り出すことに決めたということで、禁欲を解いたのか、ヘンリーは煙草も酒も嗜んでいた。婚活事業に関してはかなり本気らしく、根掘り葉掘り聞いてきた。中国人のこういう現金なところは本当に好きだ。また彼は「インファナル・アフェア」でもマフィアのボス役で出演していた香港の有名俳優エリック・ツアンと一緒に撮った写真を見せてくれた(写真左の身体が切れているのがヘンリー)。芸能界とコネがあるということは女優並みの美人を紹介してくれるのだろうか? 二人で飲んだ後、宿に帰って寝る……が、真夜中に吐き気を催してトイレに駆け込み、ひとしきり吐く。食べ物が当たった気配もないので、恐らく季節の変わり目に身体がついていかないのだろう。

もちろん、香港人の女性紹介は酒の席だけの話に終わりました 😆 香港も出生率が1.12で、未婚率も日本以上に高いと思われますが、香港人男性を選ばなかった女性が日本人男性を選ぶとも思えず。これまた日本よりも出生率が低い韓国人女性もしかりです。

5月21日(土)

朝からだるく、朝食はマンゴだけですます。10時半頃、今日の夕方にバガンに発つヘンリーと別れ、ダマラキタへ。例の上達の早い女の子が先に来ていて自習しており、その子曰く「今日はN先生は来ません。先生は仕事が忙しいです」とのこと。日本語を勉強し始めてたった三ヶ月でここまで喋れれば立派なものだ。ということでこの日は普段同じ教室でやっている10人ほどの他のクラスに付き合う。7月3日にN5を受ける女の子が2人いて、なかなかできがよく、特にマンダレー外国語大学出身の女の子は長文でもスラスラ読めて、N4も行けるのではないかという勢い。日本人と話す機会がないので、なかなか会話が上達しないのがミャンマー人日本語学習者共通の悩みだ。今日は停電がひどく、途中、窓際に場所を変えて授業を続ける。5時頃、僧院を辞去してホテルに帰るが、明日会うはずのTSと電話が繋がらない。バンコク出張中と聞いていたが、ひょっとしてまだタイにいるのだろうか?……と思っていたら案の定Skypeに彼女からその旨のメッセが入っており、帰国次第電話するとあった。ホッとしてホテルの外で煙草を吸っていると、隣のコンドミニアムに住んでいる翁と顔を合わせる。時々会釈する仲なのだが、この時、突然、日本語で話しかけられてびっくりした。恐らく日本占領時代に日本語を習ったのだろう。歴史的感動を覚えながら、体調不良に抗えず、大事なTSの電話を待たずして就寝。

5月22日(日)

引き続きだるい。朝、TSと電話が繋って会う約束をするが、彼女は電話の切り際に「see you, see you」とながやりに言って、なんとも面倒臭そうな様子。最悪な一日になる悪寒を催しながらダマラキタへ。いつものように僧院長が昼食を用意してくれたが、体調が悪く、半分以上残してしまう。食事を残してもいい文化圏らしいが、日本人の私はいつまで経ってもこれに慣れない。時間にルーズなN先生はいつものように20分以上遅刻。その間、8歳~21歳までお坊さんをやっていてその後俗世に戻ったN2を所得した青年と同じくN2を取得してヤンゴンプレスで働いている青年と駄弁る。結構、色々な人がこの僧院に関わっているのだ。授業ではいつものように聴解を手伝ったが、途中、N先生の目の前でロンジーを結び直していると、先生は心底げんなりした顔をして、「先生(私のこと)、しっかり結んでください」と言った。正直、これくらいのことでそんな顔しないでくれ、と思うが、ミャンマー人女性の貞操観念の強さを見る思いだった。僧院の奥のほうで人知れずやっていた今度N3を受験するクラスにも顔を出す。さすがN3受験者の出来はよく、「何か質問はありませんか?」と尋ねると、「今、先生から習ったばかりなので、何もありません」というキツイ言葉が返ってきた。そこでN先生と同じ会社で働いているWさん(20代前半・既婚・ダゴン大学卒)と再会。毎週、このクラスに顔を出しているらしいが、今の今まで気づかなかった。横で授業を見ていたヤンゴンプレスの記者が「Wさん、あなたのことを話したい」とクスクス笑って様子が可笑しいので、授業が終わった後、Wさんにその点を問い質すと、どうやら私のことをあちこちで話しているらしく、僧院関係者は皆私のことを知っているのだという。僧院の女生徒たちが警戒するといけないから黙っていたというのに、なんということだ(微苦笑)。Wさん曰く「日本で働きたいと思っている人は沢山いるが、日本人と結婚したいと思っている人はあまりいない。みんなびっくりしている」とのこと。その後、タクシーでTSとの待ち合わせ場所であるThamine City Martへ。TSはそ美人ではないが、N先生と同じヤンゴン外国語大学出身のとても快活な女性だった。カフェでジュースを飲みながら相談。やはり彼女も私の英語を解さず、どうやらミャンマー人と日本人の英語は相性が悪いようだ。なんで私の話に興味を持ったのだ? と尋ねると、「周囲が未婚女性ばかりだから」という答えが返ってきて、彼女もまずはミャンマー人同士の婚活サービスを始めるべきとアドバイスしてきた。途中、彼女のいとこの女性も加わったが、体調不良の私は折を見て辞去。帰りに乗ったタクシーの運転手は日本と韓国に出稼ぎにいった経験があるらしく、日本をべた誉めして、韓国を貶していた。降り際に名前と電話番号の入ったメモを貰う。

私は反韓ではないのですが、ミャンマーでも韓国人の評判は非常に悪いです。傲慢、粗暴、狡猾……正直、東南アジアの”親日”というのは中国人・韓国人・日本人と付き合った結果、日本人が一番マシという消去法によるものです。このへんもオーバーに言う人はあまり信用しないように。

5月23日(月)

ついに吐き気だけでなく下痢も来てしまった。午前中はブログをまとめる。午後、TSから約束の資料が送られてきたが、そんなものを読む気力もなく、早々に就寝。

5月24日(火)

前ミャンマーに来た時に薬局で買った薬を飲んだら下痢が治った。早速、TSが送ってきた資料を開けてみると、これがミャンマー投資法の英文。法律の条文そのまま読めってそりゃないだろう……と思ったが、ミャンマーでは特権階級はいざしらず、高学歴者レベルでも一事が万事この調子なのだと了解。結局、その資料は捨て、日本から持ってきた資料を一日じっくり読み込む。

第二回ミャンマー視察(2016年5~6月)(3)

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