第一回ミャンマー視察(2016年1~3月)(3)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第一回ミャンマー視察(2016年1~3月)(2)

2月4日(木)

記憶も記録もなし。

思いつきでミャンマーに来たものの、コネなし金なしで俺この歳でこんなところで何やってるんだろう?感が日に日にましてきて、時々何もしたくない日が出てきました 異国のホテルの一室で何もしていないとさらにそんな思いが募ってきて悪循環。 🙄 

2月5日(金)

午前、ウィン先生と面会すべく徒歩でウィン日本語学校へ。が、途中、迷子になってしまい、15分ほど遅れて着く。大物相手になんたる失態。用件の内容はいえないが、またしてもウィン先生に速攻で否定されて凹む。そして薄々気づいていたことだが、マノーラマ僧院やウィン日本語学校に通っている生徒は、比較的経済的余裕がある層の子弟で、皆自分の将来に夢中で、日本人と結婚することなど眼中にないと教えられる。そして「ここはそんなにお金を持っていない生徒が通っているよ」と言って、オッカラパの近くにあるダマラキタという僧院を教えられる。が、ウィン先生も正確な住所までは知らなかった。

ウィン先生に会ったのはこれが最後です。一文の得にもならないのに山のものとも海のものともつかぬ私に二回も会ってくれて感謝の限り……とはいえ彼は単純な”善人”ではなく、かなりしたたかな人物だと聞いています。ミャンマーの数少ないできる男性によくいるタイプなのですが、いまいち何を考えているのかよくわからない哲学者風の方です。こういうきめ細かさが彼の成功の秘訣なんでしょうね。

2月6日(土)

マノーラマへ。この頃から5時頃に僧院へ行って暇そうにしている男の子たちや僧院の小僧と駄弁るのが日課になった。大卒の男の子たちは特権階級なのだろう、皆、ニートである(女の子たちは働いている)。この日JICAの職員の奥様であるNさんがやって来て、僧院のことを色々訊かれたと記憶。トークコーナーでは「ミャンマーは女の子ばかり頑張っている。男の子はもっと頑張りましょう」という話をしたが、爆笑されただけで終わった。

ミャンマーの若い男の子は気はいいんだけど、肝心な時に本当に頼りない。↑で駄弁っていた男の子の一人はその後重い病気になり、私は見舞いに彼が欲しがっていた日本の本を人づてに渡したのに、例のFacebookでの誹謗中傷騒動の後にあっさりと私をFacebookでアンフォローしました。ちなみに女性の友だちでそんなことをした一人もいません。みんな私を信じて応援してくれています。

2月7日(日)

午前中、ウィン先生に教えてもらったダマラキタへ。オッカラパ駅の近くにあるという情報しかなかったので、とりあえずタクシーで駅へ行く。駅に着くと、近くに僧院があり、そこにいた人たちに「Japanese language school?」と尋ねると、「違う」と言われ、タクシーの運転手に住所を告げる。再びタクシーに乗っていくと、果たして目的の僧院があった。マノーラマに比べると、生徒たちの服装がなんともみずぼらしく(が、これでもミャンマーの貧困層ではなく中間層なのだ)、一瞥、言葉を失う。が、なんとか気を取り直して、日本語を少し話す僧院長だというお坊さんに「この僧院に日本人の男性と結婚したい女性はいませんか?」と単刀直入に尋ねると、僧院長は目を剥いて驚かれた。あの顔は一生忘れないだろう。”やばい、お坊さんを怒らせた……”と青くなったが、どうやらそうではなく、二階の教室に通された。この僧院の生徒も女の子ばかりだった。やがて先生らしき妙齢の日本語堪能な女性が現れ、用件を話す。話の内容は型どおりで、さして進展もなく、なんとなく終わる。僧院長の話が終わると、やがて授業が始まり、女性が教壇に立つ。どうやら今日がクラスの始まりだったようで、皆、あいうえおから勉強していた。私は字の修正と発音を手伝った。授業が終わると、「もう来ないとは思いますが、色々ありがとうございました」と先生に挨拶した。先生は「また来てください」と凛とした声で言った。その後、マノーラマへ行った。日本の大学関係者が来ていて、生徒たちに何か説明していた。またマノーラマの世話人たるU氏から名刺をいただく。

いまだに色々お世話になっているN先生との初対面です。本当に凛とした美しい方で、まさに私が追い求めていたミャンマー人女性でした……が、当時すでに既婚。旦那さんはお医者さんで、今はお子さんが一人いらっしゃいます。「先生は素敵な男性に出会えてラッキーでしたけど、他の女性はそうじゃないんですよ」と言うと苦笑いしていました。ちなみにミャンマーは医者の80%が女性で、医学部の試験では男性に点数を上乗せしているらしいのですが、これがないと医者が全員女性になると言われています。

2月8日(火)

一波乱あった後ということで、ひねもす宿の8階のルーフで煙草を吹かしながらボッーとしていた。そのうちに、”あの先生にもう一度会わなければ”という思いが募る。「また来てください」という切実な言葉。そして――美人だったから。うん、明日会いに行こう。

 

 

2月9日(火)

”あの先生にもう一度会わなければ”と思ったものの、先生の名前も住所も分からず、それどころか僧院の住所も分からない。とりあえずまたオッカラパ駅に今度は金をケチって電車で行くことにして、中央駅へ赴く。が、待てど暮らせど電車はやって来ず、痺れを切らしてタクシーに向かうことにする。が、オッカラパ駅に着いたものの、駅近くの僧院には耳の不自由な老人しかおらず、周囲の人間に聞いてもダマラキタ僧院の場所は分からない。とりあえずタクシーを走らすも、なかなか僧院に辿り着かず、周囲を彷徨うばかり。が、やがて見覚えのある景色が広がり、その辺りをウロウロしているうちにダマラキタに着く。タクシー運転手が僧院長に何やら託すると、やがて僧院長が先生の名前と電話番語を書いたメモを持って現れ、タクシー運転手が先生に電話して、何が何やら分からないまま再びタクシーに乗り込む。しばらくするとタクシーはある建物の駐車場に止まり、そこで待っていると、やがて若い女性が現れた……が、二日前見た女性とは違う印象。よくよく話すとやはり別人で、先生が勤めている会社の同僚で、先生が外出中なので、代わりに私を迎えにきたのだという。再びタクシーに乗り込んで、その会社に行くが、そこでタクシー運転手から20000チャット請求される。目ん玉が飛び出るような金額だったが、色々助けてくれたので、素直に金を払う。会社の二階にある事務室に通され、コーヒーをご馳走になる。私を会社に連れてきた女性はワオワオさんといって、N4取得者、昨年会社の社長が所属しているライオンズクラブの招待で日本へ行き、学校で子供たちと交流し、御嶽山に登ったのだという。「私たちが登った次の日に噴火したので、びっくりしました」と言っていた。「ところで先生は結婚していますか?」と尋ねると、「しています」と即答され、ガッカリ。さらに旦那の素性を尋ねると、「お医者さんです」「若いです」「26歳(本当は28歳)」と答え、先生の年齢を尋ねると、「31歳くらい……」と答えた。「くらい」ってなんだろう? やがて先生が現れ、改めて婚活事業の話をする。先生は名前をNといって、ヤンゴン外国語大学の日本語学科で日本語を学んだ才媛で、この会社はI商事の下請けで医者が着る白衣を作っているということだった。話が終わると、丁重に礼を述べてタクシーで宿に戻る。夜は近くのチャイナタウンで行われた新年のダンスコンテストを切ない気持ちで見守る。

以来、N先生の家には度々お邪魔しています。こちらは昨年お邪魔した際にごちそうになったカレー。美味しゅうございました。ちなみに写真にはありませんが、他にお皿に山盛りになったチャーハンもありました。とても食べ切れる量ではありません。ミャンマーでは食べ切れないほど料理を出すのが礼儀とされていて、残してもOKなので、くれぐれも出された料理を全部食べないように。お腹がパンクします。

2月10日(水)

人格的に大変優れた女性とじっくり話し込んだということで、何かか吹っ切れ、ミャンマーでの婚活事業を諦め、来週、帰国する決意をする。気が重いが第二志望のベトナムでやろう。

2月11日(木)

帰国の挨拶をしようと、世話になったI氏の元を訪れるが、I氏は帰国中で23日まで帰ってこないと聞いて愕然。帰りにマノーラマに寄って写真を一枚撮ってくる。

2月12日(金)

コンサルタントのTさんが帰ってきて、「よおっ、人買い」と罵られる。

2月13日(土)

ダマラキタへ。袖すり合うも他生の縁ということで、帰国までの僅かの間、N先生の授業を手伝うことにしたのだ。ダマラキタの子たちはマノーラマの子たちに比べて身なりは貧しいが、顔は賢そうで、実際、日本語の勉強を始めたばかりなのに、あいうえおをしっかり書けていた。大学進学率が10%くらいなので、たとえ大学に行ってなくても頭は悪くないのだ。授業が終わった後、ダウンタウンに買い物に出かけるというN先生とその妹といとこのお坊さんと一緒にタクシーに乗る。妹さんはシンガポールで働いているらしく、とても可愛らしい女性だった。私はマノーラマがあるチーミインダイ駅近くでタクシーを降りる。そしてエリンクラスに来ていたJICAの職員の奥様であるNさんに思いきって話しかけ、ダマラキタに来てくれないか? と頼む。「私、そんなものに興味ないわ」と冷たくあしらわれたらどうしよう? と内心ドキドキだったが、さすがJICAの職員の奥様ということで理解があり、都合が合うときに行ってみるという回答を得た。この日は東大のMISという国際交流のサークルの学生が来ていた。宿にいるアホダラ大学の学生と違って、大変賢そうで、礼儀正しく、日本の未来にホッと一安心。トークコーナーでは、エリンクラスNO.2の実力者YKさんと一緒になり、ダマラキタの話をしたが、冷たい反応しか返ってこず、二度、ミャンマー人の階層意識を見た思いがした。宿に帰って明日バンコクへ向かうTさんとウイスキーを酌み交わす。実に色々な話をしてくれたが、仕事の話をするときは、顔つきが変わった。HISの社長とは旧知の仲らしく、「お前にもほんの少しだけ似た匂いがある」と言われた。そんな大物と比べられても困る。そして別れ際、「人食い鮫の目をしている」とも言われた。

昔気質のTさんでしたが、奥様を早くに亡くし、娘二人を男手一つで育てたそうだ。けれども上の娘さんも既に亡くなり、下の娘さんも当時末期がんで余命幾ばくもないという状態でした。おそらくその後亡くなったのでしょうう。Tさんは「俺も独身に戻る。ガハハハ」と笑っていたが、やはりどこか寂しそうでした。酔いも深まった頃、Tさんは一枚の手紙を見せてくれました。上の娘さんの友人に彼女の形見を催促する手紙でした。一読、娘に対する愛情に溢れた心が温まる内容に手紙でした。その手紙を見せ終わった後、Tさんはへへへと恥ずかしそうに笑いました。これがTさんにお会いした最後です。

第一回ミャンマー視察(2016年1~3月)(4)

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