第二回ミャンマー視察(2016年5~6月)(3)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第二回ミャンマー視察(2016年5~6月)(2)

5月25日(水)

午前中にKとTに大事なメールを出した後、力尽きて夕方まで昼寝。起きた後、昨日から宿に泊まっている長渕剛似のやはり福岡出身だったYさんとBBQストリートへ。私が婚活事業をしたいと言うと、「ほう」という顔をして、人妻、シングルマザー、女子大生、タイ人、タイ人娼婦、韓国人などこれまでの自分の女性遍歴を披露してくれた(ここに書けない話も沢山)。所謂、リア充である。ミャンマー人との比較でタイ人女性のことを尋ねると、基本、日本人よりも貞操観念が強く、夫を立てる気風の持主だが、外国人に毒されてアバズレも多く、当たり外れが激しいという回答を得た。現在のところミャンマーにはバンコクのタニヤのような歓楽街もなく、擦れた感じの女の子でもノースリーブを着ておらず、酒場で男女が飲んでいる姿もあまり見かけないが、近い将来タイみたいになってしまうのだろうか? 二人でしこたま飲んで、門限の11時を少し過ぎて宿に帰る。

基本、日本人男性のタイ人女性話はあてになりません。タイには何をして暮らしているかも判然としない不良日本人が多く、彼らが下層や水商売の女性と交際して、暇なのかその様子をブログなどに綴っているのでネット上ではすこぶる評判が悪いですが、あたとりまえですが常識的な人が一番多いです。

5月26日(木)

二人からメールの返事がなく、身動きが取れないので、たまには観光をしようと、モーターボートでヤンゴン川の向こう岸に渡る。

川の向こうにあったのはヤンゴンの喧騒とは別世界の貧民窟。住んでいるのはインド人だった。ダマラキタの生徒が「金がない」といっても、ミャンマーではまだまだ恵まれているほうなのだと実感。帰りのボートで一緒だったインド人に「外国人はフェリーに乗るんだ。ボートに乗るなんてクレイジーだよ」と言われる。夜、7階の食堂でYさんと駄弁る。YさんにSYNやKTTやMMAやSRやN先生の妹など私のお気に入りのミャンマー人の女友だちの写真を見せると、「日本人に似ている」「すっぴんでこのレベルとは末恐ろしい」「童顔」という感想を得た。「外国人の素人女にここまで入れ込んでいる日本人男性は初めて見た」というのがYさんの私評。光栄至極。

当時は知らなかったのですが、ヤンゴン川の向こう岸はダラ地区と呼ばれる最貧困地区でした。あまり一人ではウロウロしないように。

5月27日(金)

休憩。朝、Yさんを送りだした後、ボーヂョー・アウンサウン・マーケットでシャツとロンジーを買う。その後は何をしていたか記憶なし。

5月28日(土)

ダマラキタへ。いつものように昼食をご馳走になっている間、僧院長からヘイグォというミャンマー名を頂く。ミャンマーでの通名はボノにしようかと思っていたが、これは無碍にできないだろう。授業が始まる1時10分前になってもN先生は来ず(いつものことだが)、生徒たちも3人ほどしか集まらず、果たして今日は授業があるのか訝しく思っていたが、やがてポツリポツリと生徒が集まり始め、駐在員の奥様でボランティアで先生をしてくださっている二人の日本人女性(とその子供)もやって来た。そのうちWさんが姿を現し、「今日は先生はお寺の仕事で忙しいので、来れません」と言って、代わりに教壇に立つ。Wさんの教師ぶりはN先生を彷彿させる堂々たるもので、日本人女性二人も教え始めて3ヶ月以上になるからか、こなれた感じだった。私要らないな(笑)。

その後、夕方五時頃、久しぶりにマノーラマ僧院へ。僧院に行くまでに乗ったタクシーはやたら裏道を回っていたが、結局、一時間以上もかかった。僧院に着くと、ボランティアの小僧たちが、前よりも上手くなった日本語で挨拶してくれた。まさに「門前の小僧習わぬ経を読む」である。教室には中国製のエアコンが入っており、皆、スピーチの練習をしていた……が、それにしても超絶アウエー感。知人がおらず、私に気づいても女の子たちは誰も挨拶してくれない。そんな中でFBでやりとりしたことがあるだけのNさんだけが会釈してくれて、とても嬉しかった。また男の子たちも私に気づくと挨拶してくれた。なぜか私はミャンマーの男性とは労せずして友好な関係を築ける。女性も可愛いが、男性もイケメンが多いので、ホモセクシャルだったら、ここはパラダイスだろう。授業の終わりのトークコーナーでは、昨年のスピーチコンテスト優勝者であるYOさんと一緒のグループになって、日本から持ってきた「完全自殺マニュアル」の解説をする。果たしてミャンマー人に受け容れられるか半信半疑だったが、思いの外受けたようで満足。またエリンクラスN0.2の実力者YKさんのスピーチコンテストの原稿の手直しを少し手伝う。内容はスチュワーデスの試験に不合格になって、自分を見つめ直したというもので、なかなか感動的だった。上手く読めたら優勝争いに絡めるのではないだろうか? 「是非、優勝して日本に来てください」とYKさんを激励して、今は二本の平行線でもいつか交わることを願いつつ、教室を後にする。宿に帰ると、一昨日出て行ったはずのYさんがいた。チケットトラブルでヤンゴンに舞い戻ったのだという。少し二人で駄弁って就寝。

マノーラマには定期的に通っている日本人の方々がいるのですが、どうやら彼らに好かれていないようでした :lol:世の中どこへ行っても村社会です。

5月29日(日)

ダマラキタへ。片道6000チャットのタクシー代がいい加減堪えてきたので、今日は片道200チャットのバスで行ったのだが、思いの外すんなり行けた。これでかなりお金をセーブできそうだ。いつもどおりN先生は20分以上遅れて、授業が始まる……が、授業中も頻繁に先生の携帯に電話がかかってきたり、途中、誰かがやってきて話し込んだりしていて、その間、私が代わりに教壇に立って授業をした。特に二月から真面目に教室に通っているものの、恥ずかしがって頑として日本語を話そうとせず、上達が遅い女の子二人を集中攻撃。既にして一人には完全に私に愛想を尽かしていて、私の顔を見るとすねた顔をする(笑)。すまないね、君たちのためなんだ……が、そんな彼女の年齢が29歳だと知ってびっくりする。やることなすことガキ臭いので、てっきり20代前半だと思っていたのに。こんな高学歴とも思えない子でも独身でいるのかとミャンマーの晩婚化の進行を目の当たりにする思いがした。授業が終わると、N先生は「便秘に気をつけて」という言葉を残して、そそくさと帰っていった。宿に帰ってパソコンを開けると、ようやくKとTSからメールが返ってきていて、謹んで返事を書く。その後、Yさんと駄弁る。Yさんは旅先で出会ったミャンマー人の人妻にご執心らしく、「Hさんがミャンマーにこだわるのもわかる気がする」という言葉をいただく。タイ人はやはりタイ人だけれど、ミャンマー人にはそういう外国人に対する違和感が少ないのだという。そうだろうね。だから私は色々辛い思いをしてでも、ここにいる。他にも色々アドバイスをいただいて、就寝。

ヤンゴンはすごい渋滞なのでタクシーに乗る意味があまりないです。バスは格安なのでおすすめです。

5月30日(月)

朝、今度こそ旅立つYさんを送りだした後、Tとアポを取る。これが今回の視察の最後の仕事になるだろう。マンダレーには行けそうもないな。二日間連続で教壇に立ったので身体はフラフラ。ダウンタウンを散策した後、昼寝後、就寝。

5月31日(火)

案の定、TSから返事がないので、やんわりと催促のメール。ミャンマー人は仕事が遅いのだが、かといって30歳を超えた女性のプライドを傷つけるわけにもいかないので、このへんは神経のつかいどころだ。昼は勇気を出して屋台で飯を食う。前回は完全アウトだったが、どうやら火を通したものであれば、胃腸が堪えられるようになったようだ。これで食事のバリエーションも増えるし、お金も節約できる。一休憩した後、近くのアドミニストレーション・オフィスへ。そこで一番偉い(でも若い)男性がほんの少しだけ英語を話せて、私の話を理解し、「イミグレへ行け」と言われ、初老のなぜか「日本」と「緬甸(ミャンマー)」と漢字で書ける男性(写真)に連れて行ってもらう。が、そのイミグレの女性がまったく私の話を理解せず、早々に引き上げる。うーん、困った。夜も屋台の焼き鳥とインスタントラーメン。宿に帰ってメールを開けると、TSから返事が来ていた。明日の午後6時Hledan Centerで待ち合わせすることになる。

第二回ミャンマー視察(2016年5~6月)(4)

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