第四回ミャンマー視察(2017年7月)(2)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第四回ミャンマー視察(2017年7月)(1)

7月18日(火)

11時にDICAへ。先週と同じくDICAの役人の方と食堂のテーブルを囲んで会社登録の手続きを進める。用事が終わった後、タクシーでビジネスパートナーの家へ行ったが、車が走り出した時、車窓の外にホワイトハウスの前マネージャーの姿が見えた。恐らく彼も新ホテル設立の準備で忙しいのだろうが、昨日に引き続いてなんたる偶然。ビジネスパートナーの家はかなり辺鄙なところにあって、周囲は農村。家の前には乳牛が二頭草を食んでおり、隣の家では鶏が盛んに鳴いていた。家はとても小さく、はっきり言ってあばら家で、電気は通っていたが、ガス、水道、下水道はなかった。子供の頃から一生懸命日本語を勉強して日本語をものにしたというのに、経済的成功には結びついていない様子。が、彼に卑屈なところは全然ない。少し仕事の話をした後、もう一人の仕事を手伝ってくれている青年の家へ。てっきり独身だと思っていたのに奥さんがいた。お茶とラペットゥとサトウキビで作ったお菓子を食べながら、しばらく談笑。その後、ビジネスパートナーから日本語を学んでいて、今度、東京の大学に留学する19歳の女の子の家へ。あばら家ばかりの家群の中で彼女の家はとても立派だった。庭にマンゴーの木がなっていて、私がマンゴーが好きだと言うと、マンゴーを三つ包んでくれた。その後、今度はビジネスパートナーの友達だという28歳の女性の家へ。その家では小学生のための英語と数学の塾を開いていて、子供たちでいっぱいだった。恐らく教育熱心さにおいては、ミャンマー人は日本人以上だろう。その後、ビジネスパートナーの家に戻って、19歳の彼女の日本語学習を手伝う。大学の授業は英語で行われるらしいのだが、日常生活のために日本語を学んでいるのだという。日本語を勉強し始めてまだ数ヶ月だが、なかなか筋がよかった。途中、ビジネスパートナーの奥さんが帰ってきて、挨拶。近くの小学校で先生をやっているとても穏やかそうな女性だった。勉強が終わって、紅茶を飲み、マンゴーを食べながらしばらく談笑した後、タクシーでホテルに戻る。この日も恋愛相談に乗っていた若いミャンマー人女性の愚痴を聞いて寝る。

この彼女はその後奨学金を得て日本の大学に留学しました。

7月19日(水)

この日はMY005さんに12時に会う約束だったが、「洗濯をしているので1時に会いましょう」というメールが入り、1時に待ち合わせ場所のサクラタワーに行く。が、30分過ぎても彼女は現れず、電話もメールも通じない。持ちぼうけを食っていると、ダマレキタ僧院で知り合った元僧侶の青年と偶然出くわした。可愛い彼女と一緒だった。2時頃になってようやくMY005さんから連絡が入り、なんとか邂逅。「1時に行く」というメッセージは「1時に家を出る」という意味だったそうだ(苦笑)。二人でホットポットの店に入り、食事を終えた後、アウンサウン将軍が殺された建物へ行く。この日はアウンサウン将軍の命日で、ミャンマーの休日だった。が、建物の前は黒山の人だかり。圧死者が出たということで、警察、軍隊、救急隊員も出動していて周囲は騒然としており、結局、中に入らずに引き返して、シティホール近くのハンバーガー屋に入り、彼女の日本語の勉強を手伝う。12月にJLPTのN2を受けるそうで、読解のテキストを見せてもらったが、センター試験並みの難しさだった。これをそこそこ解くのだから彼女の日本語力は大したものである。また問題文を読む前に質問と選択肢を先に読むそうで、試験攻略的にも正しいことをしていた。この前、日本の某システムエンジニア会社の面接を受けて、もしも採用されたら、10月から東京で働くことになるそうだ。給料は22万円ほど。初任給だと思えば、日本人と同じではないか(ちなみに同じ会社で働いている彼女と同い年のミャンマー人女性は月給30万円貰っていて、日本人の恋人もいるそうだ)。またN2に受かったらミャンマーで月給12万円くらいの仕事にありつけるらしく、これもかなり水準が高い。それなのになんでそんなに日本で働きたいのか? と尋ねると、彼女は恥ずかしそうに「日本でお風呂に入ってみたいんです」と答えた(笑)。3時間ほど勉強した後、彼女と別れて、ホテルに戻って、この日は恋愛相談に乗っていた若いミャンマー人女性の愚痴を聞かずに寝る。

7月20日(木)

この日は特に予定がなく、久しぶりにゆっくり。午前中、ボージョーアウンサウンマーケットへ行って、Kさんから買ってくるように頼まれたジャケットとロンジーを見に行ったが、思っていたよりもかなり高かったので、一旦、保留。ホテルで一休みした後、夕方頃にダウンタウンで探し回ったが、見つからなかった。もはや伝統着は普通の衣服店では売ってないのだろうか? 夕食は地元レストランでオンノウカウソエを食べ、写真をFacebookにアップすると思わぬ反響があった。やはり外国人が自国の文化を尊重しているところを見るのが、嬉しいのかもしれない。帰りは雨に降られ、ほうほうのていでホテルに帰る。8階のルーフで一人でビールを飲んだ。803号室に同い年ぐらいのロシア人女性が泊まっているようなのだが、一度も姿を見てない。

7月21日(金)

9時にDICAへ。いよいよあとは会社の登録を待つのみとなった。用事が済んだ後、MY005さんに教えてもらったEvertopという日本語学校へ行って、僧院の子供たちのために日本語のテキストを何冊か買う。が、その帰り道、逆方向のバスに乗ってしまい引き返す羽目に。やっとこさダウンタウンに戻り、昼食を食べてホテルに帰ると、停電で真っ暗。エアコンが使えず部屋で休めないので8階のルーフで昼寝。夕方4時頃、再びジャケットとロンジーを買いに、恋愛相談に乗っていた若いミャンマー人女性に教えてもらった、ホテルの目と鼻の先にあるThein Gyi Zayマーケットへ行ったが、そこで両方合わせて15000チャットで見つかった。その後、夕食を食べて、明日の朝に備えて早々に寝る。

7月22日(土)

朝7時にホテルを出てヤンゴン中央駅へ行き、バゴー行きの列車に乗る。ミャンマーの長距離電車に乗ったのは初めてだったが、日本の鈍行列車ぐらいのスピードがあり、中にはリクライニングのシートまであって、なかなか快適だった。2時間ほどでバゴーに着くと、今日通訳してくれる予定のFacebook友達のS君に電話をかける。10分ほどしてバイクで現れたS君は、典型的ミャンマー男児の優男で、18歳だというのにかなり日本語が流暢だった。なんでも大学を休学して、日本語学校に三つ通い、日本語漬けの日々を送っているらしい。ただバゴーには観光客以外ほとんど日本人がやってこないので日本人と話すのは私が初めてということだった。彼のバイクの後ろに跨って、シュエモードパヤーの近くで家族でレストランを営んでいるという「すべての人の心に花を」の彼女のところへ。店頭から姿を現した彼女はMessengerで話した時と同じ印象のタフで可愛らしい女性だった。お昼にカレーを御馳走になる。色とりどりに並んだカレーの具のなかで一つだけよく分からない皿があったので、一口食べてみると、これがなんとも言えない味。なんの肉だ?と尋ねると、なんと鼠の肉! バゴーの人々は日常的に鼠の肉を食べているらしい(後でS君から聞いたが、蛇の肉も)。食後、私、S君、彼女、彼女の兄の四人でシュエモードパヤーへ。S君はクリスチャンで、シュエモードパヤー来たのは初めてなのだという。自分の誕生曜日の金曜日の仏様を拝んだ後、四人で休憩所のような建物の中へ。そこで開口一番、彼女に契約のことを切り出すと、開口一番、「両親と相談したい」という返事(涙)。あんたこの前「Yes」って言うたやん。だからはるばるバゴーまでやってきたんやん、と言いたくなるのをグッと堪え、「今度来る時までゆっくり考えてください」とにこやかな表情を崩さずに言う。その後、私とS君だけで王宮跡を回ったが、その帰り道、激しい雨に振られて全身びしょ濡れになる。彼女の店に寄って荷物を受け取り、S君の家へ行く間も雨足は早くなり、彼の家に着くと、着替えのシャツとロンジーをもらった。カレン族の伝統的なデザインなのだという。S君の家族に囲まれてお茶とお菓子をいただく。なんでも彼の姉は現在実習生として愛知県で働いていて、同席した彼の妹も今年の10月に実習生として岐阜に行くのだという。40分ほど話をした後、再びS君にバゴー駅に送ってもらい、お別れ。いや、本当にナイスガイだった。ヤンゴンに戻り、ホテルに帰った後、疲れがどっと出て爆睡。

このへんからこの仕事、7割は無駄と悟りました。

7月23日(日)

朝の6時にN先生の旦那さんがミニバスでホテルまで迎えに来る。この日は二人の子供が生まれた100日目のお祈り?か何かで、ヤンゴンから少し離れたところにある瞑想で有名な僧院に行くことになっていた。先生が勤めている会社の工場に着くと、旦那が「私たちはここに住んでいます」と流暢な日本語で言った。先生夫婦はこの工場の二階に住んでいるらしく、階段を上ると、先生の親戚や友達でいっぱいで、先生の二人の妹もいた。真ん中の妹は一度顔を合わせたことがあるが、その頃より、身体が一回り大きくなって、髪が長くなっていたが、それよりも驚いたのはその性格で、いつも穏やかな先生とは似ても似つかない、かなり気性の激しい感じだった。どこかで見たことあると思ったら、ベトナム人女性だ。まさにベトナム人女性はこんな感じなのである。性根は悪くないので嫌な感じはしないのだが、どことなく疲れる。それが私がベトナムではなくミャンマーを選んだ理由である。二人の子供を初めて見たが、とても賢そうで可愛かった。旦那さんが朝ごはんにレトルトのうどんを作ってくれた。日本人は辛い物が苦手という配慮からである。やがて先生が姿を現す。産後ということで少しお太りになられていた。僧院までの移動中はずっとうたた寝。僧院は森の中にあり、その周辺にはお坊さんや瞑想をする人が住む家があった。日本人も7人ほどいるらしい。僧院に着くと、まずお坊さんがお祈りをして、その後、列になったお坊さんに皆でお布施。その後、皆で昼食を取り、今度は身分の高いお坊さんの話に耳を傾けた。ミャンマーの常だが、何事もあっさり終わる。僧院の中を少し見物した後、またミニバスで先生の家に戻った。別れ際、先生は「先生は(私のこと)40歳で、独身で、一人ぼっちだから、瞑想したくなったらいつでも私に言ってください」とおっしゃったが、どういう意味だろう?(苦笑)。その後、ミニトラックでD僧院まで送ってもらう。N4の勉強をしているクラスに顔を出そうと思ったのだが、先生も生徒も姿がない。Basicクラスの先生に聞くと、他の僧院でやっているということで、そちらのほうに顔を出してみると、授業はやっていたが、生徒は6人ほどしかいなかった。みんな仕事で忙しくてなかなか勉強の時間が取れないらしい。しばらくすると、先日連絡したMさんが姿を現す。彼女も仕事が忙しくてクラスに出ていないのだが、私が来るということで、わざわざ来てくれたのだ。日本語の会話の相手になってやり、彼女が持ってきた会社の業務メールにフリガナを打ってやった。彼女は韓国人が経営し、日本、韓国、中国と取引のある工場で働いているらしい。四時頃、クラスを辞去し、彼女にバス停まで送ってもらう。今度は一体いつ会えるのか。ミャンマーではありがちなことかもしれないが、顔なじみの子たちが次々と姿を消すのはとても寂しい。だからどんな人に会う時も一期一会と思って大切にしたいと思う。ホテルに戻って、夕食を食べて、寝る。

ミャンマーの休日の過ごし方です。この妹さんも今は母親となり、穏やかになっております。

7月24日(月)

10時頃目が覚める。疲労困憊して身体が動かないという経験を初めてした。お昼ごはんを食べた後も、部屋にエアコンを入れて休憩。4時にMY003さんとMY007さんのお姉さん夫婦にスーレーで車で拾ってもらって彼らの家へ。小奇麗なマンションの二階だった。ここで彼女たちの叔母で、二人の紹介者の女性を待っていたのだが、彼女から入ったMessengerを読むと、なんと彼女が日本にいることが判明。先日「ハマモトさん、ミャンマーにいます」とメールがはいったので、てっきりヤンゴンにいるものだと思っていたのだが、彼女の説明によると、「ミャンマーにいますか?」という意味だったらしい(涙)。ということで彼女抜きでレストランに行き、皆でBBQを食べる。お土産も持たずにやって来て、食事だけご馳走になって申し訳ない気持ち。帰りもスーレーまで送ってもらった。ホテルに戻り、シャワー浴びて、就寝。

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