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第一回ミャンマー視察(2016年1~3月)(2)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第一回ミャンマー視察(2016年1~3月)(1)

1月26日(火)

ヤンゴンの老舗日本語学校であるウィン日本語学校が、ホテルの近くにあることが分かったので、翻訳を頼みに出かける。が、その途中、場所が分からず迷子になり、結局、学校の職員に迎えに来てもらう。待ち合わせ場所にやって来た女の子は、白い肌をしたそれはそれは凛々しい顔だちをした綺麗な子だった。二度惚れる。学校に赴くと、ウィン先生は不在で、職員は全員若い女の子だった。私を案内してくれた女の子にFBページに打ち込む日本語の文面を渡し、見積もりを出すのに数時間かかると言われたので、少し談笑した後、一旦辞去。ホテルに戻って時間を潰していると、やがてメールが入り、拙い日本語で「翻訳には2、3日かかります。値段は20,000チャットです。どうしますか?」とあった。すぐに電話をかけ直し、紙に翻訳してもらうのではなく、ミャンマー語でFBに打ち込んでほしいと頼んだが、なぜか「駄目です」の一点張り。埒が明かないので丁度ウィン日本語学校に用事があったNさんと一緒に学校に赴き、今度は面と向かって頼んだが、やはり「駄目です」の一点張り。Nさん曰く「融通が利かないんだよ」とのこと。東南アジアではよくあることらしい。Nさんとの商談が終わったウィン先生と明日の面会の約束を取りつける。その帰り道にNさんの紹介でスーレーバゴダの近くで翻訳業を営む男性の元を訪れて翻訳を頼むが、結局、断念。が、その翻訳業の人物は私の話に興味を持ったらしく、「また来てくれ」と言われた。

久しぶりにこの私を迎えにきた子のことを思い出しましたねー 😛 凛々しい顔立ちをしていて本当にきれいだった。日本に語学留学したいとか言っていましたけど夢は叶ったのかな?ちなみに件の日本語学校はヤンゴンで一番有名な日本語学校なのですが、働いているのは全員女性でした。

1月27日(水)

朝の10時にウィン日本語学校に赴いてウィン先生と面会。スカウト作戦が没になったので、人材派遣会社の如く、日本語学校の生徒の中で日本人男性と結婚したい女性を募り、その代わり学校にいくらかコミッションを払おうと考えたのだ……が、やはりウィン先生からも(中略)難しいと指摘される。やはり駄目か……かなり凹み、「もうカンボジアかベトナムにしようかなあ」という気分になる。その夜、ヤンゴンを離れるNさんに女の子を買える店で女の子を見にいこうと誘われ、ある店に連れられていったが、どうやらその店は商売替えしたらしく、普通のビアホールになっていた。それでも女性が沢山ステージに上がってダンスをするファッションショーなるものがあったのだが、それも服を脱ぐでもなく、ラジオ体操のような健全なものだった。これは11年前に観たものとまったく同じで、スロートレインだけではなく、ここにも変わらないものがあった。翌朝、Nさんはお気に入りの宿の女の子にセクハラタッチをして、颯爽とカンボジアのプノンペンに飛んでいった。器の小さい人だったが、色々教えてもらい感謝。

このウィン先生というのは、アウンサンスーチー氏が訪日した際にその通訳を務めた人物です(京大留学経験のあるスーチー氏は実は日本語が話せると聞いたのですが、あれは嘘なのでしょうか?)。安倍総理、甘利氏、高村氏など自民党の要人たちと一緒に撮った写真をたくさん見せていただきました……とこのようにミャンマーで要人と会うのは実はそんなに難しくないんです。ミャンマーでビジネスをしようとすると「誰それと知り合いだ」という人がわんさか湧いてきますけど、話半分どころが10分の1程度にも聞いてはいけないと思います。たいてい何回か顔を合わせたことがあるだけで、相手は名前も覚えていないことが多いです 😆 

1月28日(木)

Kさんという70代の男性がやってくる。先の二人に比べればかなりの常識人。香川県善通寺市の人で、両親が坂出市の私とうどんネタで盛り上がり、実家の近くにある日の出食堂が全県的に有名な店だということを初めて知る。婚活事業の話をすると、「ちょっとタイミングが早すぎるからね」などと年長者ならではのアドバイスをいただく。夜は一緒にインドカレーを食べにいき、よもやま話に話を咲かせる。満州出身で引き揚げの記憶がかすかにあるらしく、その時の興味深い話を聞く。

1月29日(金)

気分転換にとKさんと一緒に日本人墓地へ行く。空港近くにあるのだが、タクシーをチャーターして14000チャットかかった。墓地は地元の人たちが整備していて、かなり綺麗で、杉良太郎の記念碑もあった。「インパール作戦に破れた日本兵はミャンマーの人たちにとてもお世話になったんだよ」という話はヤンゴンで会った年配の人たちからよく聞いた話だ。二人で10000チャット寄付して退散。帰りのタクシーの中で感極まったKさんは泣いていた。

ちなみにイギリス人墓地はもっと立派です。さすが戦勝国 😆

1月30日(土)1月31日(日)

両日ともマノーラマ僧院に通っていた。30日にロンジーを履いていくとエミリとクミコ(森公美子に似ていることから、私が日本人名をつけた美容師の女の子)から「カッコいい!」と褒められ、こそばゆい気持ちに。5時から始まるクラスにも参加しようとしたが、二階にある狭い図書室に圧死するほど生徒がぎゅう詰めになっているのを見て、早々に退散。二階の教室で時間を潰していると、ちびまる子ちゃんによく似た可愛らしい女の子に話しかけられた。「漢字は朝飯前ではありません」と流暢な日本語で話す彼女は驚愕の19歳で、既にN3を取得しており、将来の夢はガイドになることだという。またここにきてようやく理解したが、ここではエリンクラスという授業が5時~6時半、6時半~8時の2回行われており、その後半の授業の残り40分くらいをグループ分けして日本人1人をあてがい、会話をしながら日本語を学ぶということにしているようだった。両日もこのコーナーではエミリと眼鏡をかけた長髪の細い女の子と一緒のグループになった。エミリは日本の大学に留学したいのだが、一人っ子なので両親が反対しているのだという。私は「大学卒業後に必ずミャンマーに留学すること条件に留学の許可を貰ったらどうだ?」とアドバイス。眼鏡の子は親の希望で医学部を志望するも点数が足らず工学部の土木科に進み、今年の7月大阪にあるIT系企業に就職が決まっているのだという。彼女に「ミャンマーに来て驚いたことはなんですか?」と尋ねられたので、信仰熱心さ、渋滞のひどさ、女性が綺麗になったことと答えた。

2月1日(月)

午前中、スーレーバゴダの近くで翻訳業を営む男性の元を訪れる。なんの話かと思えば、金の話ばかりでうんざりした私は早々に退散。一日中げんなりしていた記憶。

2月2日(火)

このあたりでどこぞ大学のボランティア学生グループが宿にやって来た。が、なんとも頭が悪そうで、一瞥して不快感を催す。結構長い間滞在していたが一言も口を利かなかった。まあ、あちら側にしても、こちらはええ年こいて、バックパッカー宿に泊まっている怪しいおっさんなのだろうが。

2月3日(水)

I氏の元を訪れて、これまでのことを報告。そのI氏から実はウィン先生は先年の秋ミャンマー政府使節団が訪日した際、通訳として同行した大物だという話を聞く。なんでも一日700ドルの報酬を受け取るミャンマー随一の通訳なのだとか。この話を聞いて、早速、ウィン先生ともう一度アポを取る。

第一回ミャンマー視察(2016年1~3月)(3)

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第一回ミャンマー視察(2016年1~3月)(1)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

1月15日(金)

デヴィッド・ボウイの死の衝撃を引き摺ったまま、地下鉄東山線藤が丘駅からバスで中部国際空港へ。空港自体へ行くのも11年ぶり。荷物受け取り場でビジネスビザを取ってくれたI社の荷物を受け取る。会社の荷物を運ぶ代わりにビザ取得代をただにしてくれるのだ。まるで運び屋みたいで怪しい仕事だと思ったが、後で聞くと、ヤンゴン在住の人はみんなそうしているらしい。が、自分の荷物と合わせてタイ航空の重量制限の30キロを遥かに超え、ボストンバッグの中身を手荷物に詰め替える羽目に。それでも持ち込み荷物の重量は30キロを超えていたが、慌てて荷物を詰め替える哀れな中年男の姿に若く美しいグランドスタッフたちは同情してくれたのか、結局、追加料金は取られなかった。フライトはバンコク経由ヤンゴン行。機内でどう過ごしていたかは記憶にない。ヤンゴン国際空港に着くと、東南アジア特有のモワッとした生温かい空気に包まれる。これからミャンマーで婚活事業をやろうとしている身ながら、実はこの気候は大の苦手だ。11年前にミャンマーに旅行で行ったが、当時首都のヤンゴンでさえ外食できる場所はほとんどなく、食事は油っぽく、他の東南アジアには腐るほどあるフルーツジュースもマンゴージュース以外なく、ビールと水と煙草しか買うものがなかったと記憶している。唯一の救いは女性が綺麗なことである。ビザの手続きはスムーズに行き、ゲートを出たところでI社のミャンマー人社員に迎えられ、I社の社長のI氏と電話で話す。I氏からは重量制限を確認していなかった不手際を丁重に詫びられ、明日の夜に食事に誘われて、これを快諾。車の車窓の外に見える騒々しいヤンゴンの夜景は記憶にあるような、ないようなあやふやな感じ。宿泊先はダウンタウンにあるバックパッカーご用達のホワイトハウスホテル。見覚えのある眼鏡をかけたインテリ風のマネージャーが迎えてくれ、8階の部屋に案内される。記憶にあるとおり大理石が施された綺麗な内装で、部屋も8ドルのわりには小奇麗。門限の11時までまだ時間があったので、荷物を置いて一旦外へ。夜の10時を超えていたが、ダウンタウンはその名に相応しくかなり賑やか。人々も昔に比べて若干洋服姿の人が増えたような気がするが、あまり変わっていない感じ。ちょっと擦れた感じのねーちゃんも笑うと屈託がない。歩道橋の上で出会った子供の写真をパチリと撮ってホテルに帰る。窓もない部屋だったが、夜はさほど熱くなく、毛布に包まって寝る。

結婚もしておらず、婚活もしたこともない私が突然、ミャンマー人女性を日本人男性に紹介する国際結婚斡旋会社を思い立ったのは、ひとえに日本人男性の未婚率が30%に迫ろうとしているというニュースに衝撃を受けたからです。そのニュ―スを聞いて、真っ先に思いついたのは「ミャンマー人と結婚すりゃいいじゃん?」ということでした。10年前にミャンマーを訪れた際に「ミャンマー人女性はきれいだなあ……」という感想を抱いていたのですが、それがにわかに思い起こしたのです。その時はミャンマー人女性の未婚率が高いことも知らず、単なる思いつきでした。思い立って2ヶ月後くらいにはミャンマー地を踏んでいました。

1月16日(土)

2階の10ドルの部屋が空いたので、そこに移る。私も既に40歳、8階までいちいち階段を上り下りするのはさすがにキツイ。ホワイトハウス名物のバイキング風朝食をいただき、屋上のテラスに上って、ヤンゴンの朝の風景を眺めながらiPhoneで音楽を聴いて、気持ちを高める。その後ダウンタウン周辺を散歩。昼間に外に出ると、ミャンマーの変化は一目瞭然。11年前は人もまばらで、外国人だと目立つからか、一日一回は必ず日本語話者のミャンマー人に話しかけられたものだが、今はそんな余地もないほど人で溢れ返り、ミャンマー人だけではなく、インド人、中国人、バングラデシュ人など人種も様々でかつては一軒もなかったレストランやカフェやスーパーが軒を並べ、ヒンドゥー寺院やモスクまであり、車の渋滞もひどい。商店を一軒一軒尋ねて、暇そうな店番のねーちゃんをスカウトしようとした当初の目論見は外れた。何か他の手を考えなければ。夕方にはI氏と某大手日本商社ご用達の日本料理屋Hで食事。日本料理屋と言いつつ、麻婆豆腐や酢豚やふかひれスープなどの中華料理に舌鼓を打ちながら、ミャンマーの色々興味深い話を伺う。女性を集めたいのなら、Facebookを利用すればいいとのこと。なんでも2014年にインターネットが解禁され、通信費が劇的に下がって以来、ミャンマーではスマフォが爆発的に普及し、若年層ではFB加入率は95%を超えているのだとか。これはいいことを聞いた。そして「ここ行ってこなよ」と言われて、チーミインダイ駅近くの僧院を教えられる。ここで日本語を教えているから、顔を出してみるといいと。「そうします」と言って、ありがたくその情報をいただく。

このミャンマー訪問は私のスマホデビューでもありました。このために名古屋は栄のアップルストアで買ったiPhone6plusはその後4年余活躍して、今年の1月にiPhone11と交代しました。

まだ使い慣れていなかったので、この時の写真はあまり撮っていません 😆 まだ写真を撮るという習慣がなかったのです。

1月18日(月)

朝、ホテルの一階のロビーでiPhoneを弄っていると、マネージャーに話しかけられ、私を覚えていると言われた。11年前に計一週間ほど泊まっただけなのに、顔を記憶しているとはありがたい。その後、マネージャーは日本に10年以上滞在したことがあり、奥さんも日本人(超美人)で、私とは英語で会話していたが、日本語がペラペラであることが判明。またロビーの椅子の後ろに積み上がっているアルバムの中に水木しげるが映ったアルバムがあった。なんでも2000年代初頭に取材のためにミャンマーを訪れた際、このホテルに泊まったらしく、それを尋ねると、マネージャーは自慢げに水木氏のサインを見せてくれた。その後、タクシーで日本大使館に赴いたが、丁度昼休みで、二時に出直せと言われる。待ち時間の間、近くのカンドーヂ湖を散歩。恋人たちの憩いの場になっているらしく、仲睦まじく寄り添う恋人たちの姿が目についた。二時になると再び大使館に取って返したが、用事はあっさりと終わる。

1月19日(火)

一日中宿に引きこもって、戦略の練り直し。

1月20日(水)

I氏の事務所を訪れて結婚に必要な書類について相談。書類集めはI社関連のパスポート・ビザを一手に引き受けている弁護士に頼むことにしたが、それにしてもパスポート30~80ドル、独身証明書10~50ドル、IDカード10~50ドル、ファミリーリスト10~50ドルというあやふやな必要経費の金額はなんだ? と尋ねたら全部賄賂の額なのだという。ほへっ。その後、I社の社員というK氏が来訪し、同郷ということが知れ、若干話が弾む。かつてはヤンキー中学校として知られたO中学校で生徒会長をやっていたのだという。その後、仰天の事実が発覚。なんでもI社はI氏、K氏も含めて関係者全員がホモなのだという。「男の8%はホモだから、ホモだけで金を回せるんだよね。ホモは性格いいし」とI氏。最後、「君、××ちゃんに似てるねえ」というありがたい言葉をいただく。

1月?日

この前後に年配の日本人男性が二人ホテルにやって来た。一人はTさんという75歳の方で、旧帝大の工学部の学生だったのだが、大学在学中に文学・哲学に傾倒して文学部に転部し、大学卒業後はバックパッカーのようなことをしていて、やがて食うためにアジア進出を目論む日本企業の使い走りのようなことをやり始め、そうしているうちにコンサルタントとして一本立ちしたのだという。今回も某大手企業のマーケティング調査を担っての来緬で、ホテルのマネージャーとは昵懇の仲。英語、フランス語、ミャンマー語、さらにはミャンマーの少数民族の言葉に堪能で、ミャンマー歴も長く、知人には国会議員も大富豪もおり、私の不在中、ルビードラゴンと呼ばれる財閥の娘が彼に挨拶に来たそうだ。そんな大物なのに一泊10ドル前後のホテルに泊まるギャップがまた面白い。もう一人は福岡の日本語学校の50代の日本語教師Nさんで、営業の人間が病気になったので代わりにヤンゴンに派遣され、日本語学校を営業で回っているということだった。かつてはバンコクで10年日本語教師をやっていたそうで、奥さんはその時に出会ったシャン族の女性(ミャンマー国籍)で、今はタイ・マッサージの店をやっており、自分よりも稼ぎがいいのだとか。かつて結婚の手続きのためにヤンゴンに来た時は、奥さんの実家に泊まっているところに秘密警察に踏み込まれたりして(ミャンマーの法律では外国人はミャンマー人の家に泊まれない)、大変な思いをしたそうだ。二人は飛行機でたまたま席が隣になって意気投合し、一緒にこのホテルにやって来たらしく、爺殺しの悪名高い私はすぐに二人と仲良くなった。Tさんは早々に仕事でインレー湖へ出かけていった。

1月23日(土)

フライヤーによると、朝から授業をやっているということなので、朝の9時にマノーラマ僧院を訪れる。Basicクラスの授業が行われる一階の教室は生徒で溢れ返っており、強面の僧院長曰く300人以上の生徒がいるとのこと。ここでも授業の手伝いを申し出、横っちょで授業を見学していたが、出る幕はなかった。授業が終わると、僧院の近くでシングルマザーの日本人女性が経営しているジュエリーショップへ赴く。ここで(将来の)お客様に婚約指輪と結婚指輪を作ってもらう予定なのだ。クーラーのよく効いた部屋で色々説明を受ける。その後、僧院に戻って3時の授業に出て聴解を手伝う。

1月24日(日)

昨日に引き続いて3時の授業に出る。授業が終わった後、男の子一人と女の子一人がまとわりついてきて、お茶に誘われる。女の子は授業中にチラッと視界に入った時、「日本人みたいな顔をした可愛い子だな」と思った子だった。僧院近くの食堂に入って3人で甘ったるいコーヒーを飲みながら、歓談。女の子はEと名乗り、年齢を尋ねると、驚愕の17歳だった。大学生で、将来は通訳を目指しており、日本に留学したいのだという。基本、ミャンマー人は童顔で幼く見えるのだが、彼女の場合は23、24に見えた。髪型や服装のセンスもよく、恐らくは裕福な家の娘だろう。一人っ子ということだったが、我儘なところは一切なく、実にいい子だった。二人の写真を撮ったが、ついつい彼女に寄りすぎてしまい、男の子の顔が切れてしまった。後でNさんに彼女の写真を見せると、彼もかなり気に行ったらしく、「可愛いねえ」と言いながら、何度も写真を拡大していた。話は弾んだが、私が泊まっているホテルの話になった時、二人の表情が凍りついた。その時の衝撃は後日「What is the thing which surprises Japanese the second most in Myanmar?」というタイトルでFBにまとめた(削除済み)。とにかく二人は普段5時からのクラスに出ているらしく、「来週来てください」と頼まれた。行きますとも。

ミャンマーが紛れもなく階層社会であることを知った瞬間。というかミャンマーというよりも日本以外の国がだいたいそうで、韓国人なんかでも生まれ育ちが違いすぎるとお互いに口も利きません。この女性はその後日本語スピーチコンテストで2位に輝き、その褒美で日本を旅行していました。

第一回ミャンマー視察(2016年1~3月)(2)

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