旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。
1月15日(金)
デヴィッド・ボウイの死の衝撃を引き摺ったまま、地下鉄東山線藤が丘駅からバスで中部国際空港へ。空港自体へ行くのも11年ぶり。荷物受け取り場でビジネスビザを取ってくれたI社の荷物を受け取る。会社の荷物を運ぶ代わりにビザ取得代をただにしてくれるのだ。まるで運び屋みたいで怪しい仕事だと思ったが、後で聞くと、ヤンゴン在住の人はみんなそうしているらしい。が、自分の荷物と合わせてタイ航空の重量制限の30キロを遥かに超え、ボストンバッグの中身を手荷物に詰め替える羽目に。それでも持ち込み荷物の重量は30キロを超えていたが、慌てて荷物を詰め替える哀れな中年男の姿に若く美しいグランドスタッフたちは同情してくれたのか、結局、追加料金は取られなかった。フライトはバンコク経由ヤンゴン行。機内でどう過ごしていたかは記憶にない。ヤンゴン国際空港に着くと、東南アジア特有のモワッとした生温かい空気に包まれる。これからミャンマーで婚活事業をやろうとしている身ながら、実はこの気候は大の苦手だ。11年前にミャンマーに旅行で行ったが、当時首都のヤンゴンでさえ外食できる場所はほとんどなく、食事は油っぽく、他の東南アジアには腐るほどあるフルーツジュースもマンゴージュース以外なく、ビールと水と煙草しか買うものがなかったと記憶している。唯一の救いは女性が綺麗なことである。ビザの手続きはスムーズに行き、ゲートを出たところでI社のミャンマー人社員に迎えられ、I社の社長のI氏と電話で話す。I氏からは重量制限を確認していなかった不手際を丁重に詫びられ、明日の夜に食事に誘われて、これを快諾。車の車窓の外に見える騒々しいヤンゴンの夜景は記憶にあるような、ないようなあやふやな感じ。宿泊先はダウンタウンにあるバックパッカーご用達のホワイトハウスホテル。見覚えのある眼鏡をかけたインテリ風のマネージャーが迎えてくれ、8階の部屋に案内される。記憶にあるとおり大理石が施された綺麗な内装で、部屋も8ドルのわりには小奇麗。門限の11時までまだ時間があったので、荷物を置いて一旦外へ。夜の10時を超えていたが、ダウンタウンはその名に相応しくかなり賑やか。人々も昔に比べて若干洋服姿の人が増えたような気がするが、あまり変わっていない感じ。ちょっと擦れた感じのねーちゃんも笑うと屈託がない。歩道橋の上で出会った子供の写真をパチリと撮ってホテルに帰る。窓もない部屋だったが、夜はさほど熱くなく、毛布に包まって寝る。
結婚もしておらず、婚活もしたこともない私が突然、ミャンマー人女性を日本人男性に紹介する国際結婚斡旋会社を思い立ったのは、ひとえに日本人男性の未婚率が30%に迫ろうとしているというニュースに衝撃を受けたからです。そのニュ―スを聞いて、真っ先に思いついたのは「ミャンマー人と結婚すりゃいいじゃん?」ということでした。10年前にミャンマーを訪れた際に「ミャンマー人女性はきれいだなあ……」という感想を抱いていたのですが、それがにわかに思い起こしたのです。その時はミャンマー人女性の未婚率が高いことも知らず、単なる思いつきでした。思い立って2ヶ月後くらいにはミャンマー地を踏んでいました。
1月16日(土)
2階の10ドルの部屋が空いたので、そこに移る。私も既に40歳、8階までいちいち階段を上り下りするのはさすがにキツイ。ホワイトハウス名物のバイキング風朝食をいただき、屋上のテラスに上って、ヤンゴンの朝の風景を眺めながらiPhoneで音楽を聴いて、気持ちを高める。その後ダウンタウン周辺を散歩。昼間に外に出ると、ミャンマーの変化は一目瞭然。11年前は人もまばらで、外国人だと目立つからか、一日一回は必ず日本語話者のミャンマー人に話しかけられたものだが、今はそんな余地もないほど人で溢れ返り、ミャンマー人だけではなく、インド人、中国人、バングラデシュ人など人種も様々でかつては一軒もなかったレストランやカフェやスーパーが軒を並べ、ヒンドゥー寺院やモスクまであり、車の渋滞もひどい。商店を一軒一軒尋ねて、暇そうな店番のねーちゃんをスカウトしようとした当初の目論見は外れた。何か他の手を考えなければ。夕方にはI氏と某大手日本商社ご用達の日本料理屋Hで食事。日本料理屋と言いつつ、麻婆豆腐や酢豚やふかひれスープなどの中華料理に舌鼓を打ちながら、ミャンマーの色々興味深い話を伺う。女性を集めたいのなら、Facebookを利用すればいいとのこと。なんでも2014年にインターネットが解禁され、通信費が劇的に下がって以来、ミャンマーではスマフォが爆発的に普及し、若年層ではFB加入率は95%を超えているのだとか。これはいいことを聞いた。そして「ここ行ってこなよ」と言われて、チーミインダイ駅近くの僧院を教えられる。ここで日本語を教えているから、顔を出してみるといいと。「そうします」と言って、ありがたくその情報をいただく。
このミャンマー訪問は私のスマホデビューでもありました。このために名古屋は栄のアップルストアで買ったiPhone6plusはその後4年余活躍して、今年の1月にiPhone11と交代しました。
まだ使い慣れていなかったので、この時の写真はあまり撮っていません 😆 まだ写真を撮るという習慣がなかったのです。
1月18日(月)
朝、ホテルの一階のロビーでiPhoneを弄っていると、マネージャーに話しかけられ、私を覚えていると言われた。11年前に計一週間ほど泊まっただけなのに、顔を記憶しているとはありがたい。その後、マネージャーは日本に10年以上滞在したことがあり、奥さんも日本人(超美人)で、私とは英語で会話していたが、日本語がペラペラであることが判明。またロビーの椅子の後ろに積み上がっているアルバムの中に水木しげるが映ったアルバムがあった。なんでも2000年代初頭に取材のためにミャンマーを訪れた際、このホテルに泊まったらしく、それを尋ねると、マネージャーは自慢げに水木氏のサインを見せてくれた。その後、タクシーで日本大使館に赴いたが、丁度昼休みで、二時に出直せと言われる。待ち時間の間、近くのカンドーヂ湖を散歩。恋人たちの憩いの場になっているらしく、仲睦まじく寄り添う恋人たちの姿が目についた。二時になると再び大使館に取って返したが、用事はあっさりと終わる。
1月19日(火)
一日中宿に引きこもって、戦略の練り直し。
1月20日(水)
I氏の事務所を訪れて結婚に必要な書類について相談。書類集めはI社関連のパスポート・ビザを一手に引き受けている弁護士に頼むことにしたが、それにしてもパスポート30~80ドル、独身証明書10~50ドル、IDカード10~50ドル、ファミリーリスト10~50ドルというあやふやな必要経費の金額はなんだ? と尋ねたら全部賄賂の額なのだという。ほへっ。その後、I社の社員というK氏が来訪し、同郷ということが知れ、若干話が弾む。かつてはヤンキー中学校として知られたO中学校で生徒会長をやっていたのだという。その後、仰天の事実が発覚。なんでもI社はI氏、K氏も含めて関係者全員がホモなのだという。「男の8%はホモだから、ホモだけで金を回せるんだよね。ホモは性格いいし」とI氏。最後、「君、××ちゃんに似てるねえ」というありがたい言葉をいただく。
1月?日
この前後に年配の日本人男性が二人ホテルにやって来た。一人はTさんという75歳の方で、旧帝大の工学部の学生だったのだが、大学在学中に文学・哲学に傾倒して文学部に転部し、大学卒業後はバックパッカーのようなことをしていて、やがて食うためにアジア進出を目論む日本企業の使い走りのようなことをやり始め、そうしているうちにコンサルタントとして一本立ちしたのだという。今回も某大手企業のマーケティング調査を担っての来緬で、ホテルのマネージャーとは昵懇の仲。英語、フランス語、ミャンマー語、さらにはミャンマーの少数民族の言葉に堪能で、ミャンマー歴も長く、知人には国会議員も大富豪もおり、私の不在中、ルビードラゴンと呼ばれる財閥の娘が彼に挨拶に来たそうだ。そんな大物なのに一泊10ドル前後のホテルに泊まるギャップがまた面白い。もう一人は福岡の日本語学校の50代の日本語教師Nさんで、営業の人間が病気になったので代わりにヤンゴンに派遣され、日本語学校を営業で回っているということだった。かつてはバンコクで10年日本語教師をやっていたそうで、奥さんはその時に出会ったシャン族の女性(ミャンマー国籍)で、今はタイ・マッサージの店をやっており、自分よりも稼ぎがいいのだとか。かつて結婚の手続きのためにヤンゴンに来た時は、奥さんの実家に泊まっているところに秘密警察に踏み込まれたりして(ミャンマーの法律では外国人はミャンマー人の家に泊まれない)、大変な思いをしたそうだ。二人は飛行機でたまたま席が隣になって意気投合し、一緒にこのホテルにやって来たらしく、爺殺しの悪名高い私はすぐに二人と仲良くなった。Tさんは早々に仕事でインレー湖へ出かけていった。
1月23日(土)
フライヤーによると、朝から授業をやっているということなので、朝の9時にマノーラマ僧院を訪れる。Basicクラスの授業が行われる一階の教室は生徒で溢れ返っており、強面の僧院長曰く300人以上の生徒がいるとのこと。ここでも授業の手伝いを申し出、横っちょで授業を見学していたが、出る幕はなかった。授業が終わると、僧院の近くでシングルマザーの日本人女性が経営しているジュエリーショップへ赴く。ここで(将来の)お客様に婚約指輪と結婚指輪を作ってもらう予定なのだ。クーラーのよく効いた部屋で色々説明を受ける。その後、僧院に戻って3時の授業に出て聴解を手伝う。
1月24日(日)
昨日に引き続いて3時の授業に出る。授業が終わった後、男の子一人と女の子一人がまとわりついてきて、お茶に誘われる。女の子は授業中にチラッと視界に入った時、「日本人みたいな顔をした可愛い子だな」と思った子だった。僧院近くの食堂に入って3人で甘ったるいコーヒーを飲みながら、歓談。女の子はEと名乗り、年齢を尋ねると、驚愕の17歳だった。大学生で、将来は通訳を目指しており、日本に留学したいのだという。基本、ミャンマー人は童顔で幼く見えるのだが、彼女の場合は23、24に見えた。髪型や服装のセンスもよく、恐らくは裕福な家の娘だろう。一人っ子ということだったが、我儘なところは一切なく、実にいい子だった。二人の写真を撮ったが、ついつい彼女に寄りすぎてしまい、男の子の顔が切れてしまった。後でNさんに彼女の写真を見せると、彼もかなり気に行ったらしく、「可愛いねえ」と言いながら、何度も写真を拡大していた。話は弾んだが、私が泊まっているホテルの話になった時、二人の表情が凍りついた。その時の衝撃は後日「What is the thing which surprises Japanese the second most in Myanmar?」というタイトルでFBにまとめた(削除済み)。とにかく二人は普段5時からのクラスに出ているらしく、「来週来てください」と頼まれた。行きますとも。
ミャンマーが紛れもなく階層社会であることを知った瞬間。というかミャンマーというよりも日本以外の国がだいたいそうで、韓国人なんかでも生まれ育ちが違いすぎるとお互いに口も利きません。この女性はその後日本語スピーチコンテストで2位に輝き、その褒美で日本を旅行していました。
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