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第五回ミャンマー視察(2018年1~2月)(3)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第五回ミャンマー視察(2018年1~2月)(2)

1月28日(日)

ダマレキタ僧院の生徒たちに会ってきた。最初はたくさんいる日本語教室の生徒たちだが、N4レベルまで行くと、残るのはほんの僅か。しかも男性に関してはお坊さん以外は全員途中脱落という体たらく。真面目な男性の相当数がお坊さんになるから、こんなに独身女性が多いのだと訝りたくなる。そしてこのYさんはその数少ない生き残りで、現在25歳、機械を取り扱う某日本企業で働いているそう。私が胃炎を患っていると聞いて、ミャンマーの薬をお土産に持ってきてくれた。本当にありがとう……が、よくわからない薬を飲むのは怖いから、日本に帰って主治医と相談の上、服用してみることにする。N4をパスした彼女ですが、仕事が忙しくて勉強の時間が取れず、なかなか日本語が話せるようにならないのが悩みの種なのだとか。お茶を飲みながら一時間ほど話し、日本語の会話の相手になってやった。

その後はK(21歳)さんとZ(23歳)さんに合流。和食レストランに連れて行ってお昼ごはんをごちそうした。二人とも日本食を食べるのは初めてらしく、味噌汁を一口すすると、「ミャンマー料理と味が全然違う!」と驚いていたが、結局全部平らげた。二人とも初めて出会ったのは1年半前で、その時は、ほとんど日本語を話せなかったのに、現在は日常会話くらいはこなせるようになっていて感慨深かった。二人とも実習生として日本に行くのが夢なのだとか。まあ、仕事は辛いけど、給料も碌に払わず、パワハラやセクハラを行う悪徳企業に当たらなければ、家族に仕送りできるし、休日は遊べるし、ミャンマー人にとっては割のいい仕事ではあるだろう。二人とも現在も日本語の勉強を続けているようで、私がミャンマー滞在中にもう一度会う約束をして、別れた。

三人とも今でも交流があります。日本語がとても上手になって先生冥利に尽きます。

1月29日(月)

関西遠征(8月27日~31日)で8月27日に倉敷で会ったMY029さんにお会いしてきた。ちなみに日本で会ったミャンマー人にミャンマーで会うのはこれが初めて。待ち合わせ場所はヤンゴン隋一のデパート・ミャンマー・プラザ。そこに現れたMY029さんは綺麗な薄紫色のロンジーを着ていました。最近の若者は洋服がスタンダードになりつつあるとはいえ、やはりミャンマー人女性にはロンジーがよく似合う……が、よく聞くと、私がロンジーと思っていたものは(写真)ロンジー風のスカートなのだそう。知らなかった。

二人でRさんと一緒に行ったミャンマー・プラザの4階にある和食レストランへ。私はトンカツ定食、彼女は日本でもよく食べていた豚丼を頼んだ……が、ミャンマーの豚肉は脂身が多いので、途中でダウンしていた。聞けば帰国後は日本人が多く泊まることで有名なSホテルで働いており、田舎から母親を呼び寄せて、母子で二人暮らしをしているのだとか。彼女は一人っ子で、父親は既に亡く、 母子の生活を支えるために、シンガポールで5年、日本で3年働いたそう。とても苦労しているが、あまりそんなそぶりを見せないのもミャンマー人女性らしい。実習生の期間が3年から5年に伸びたことで、日本で勤務していた会社の社長から「またうちで働いてくれないか」と頼まれているそうなのだが、「絶対に嫌」と言ってた。やはり実習生の仕事は単純労働作業なので将来性がなく、今のホテルでキャリアを積むほうがいいそうだ。

食後はシェエダゴンパゴダの隣にある遊園地へ。年甲斐もなく二人でジェットコースターに乗ったり、アイスクリームを食べたり、写真を撮りあったりして遊ぶ。単刀直入に「日本人と結婚する気はないか?」と尋ねると、母親を一人ミャンマーに残していくわけにはいかないから難しいと彼女は答えた。まあ独身だから不幸せというわけでもないけど、彼女のFacebookを見ると他人の子供の写真がいっぱい……やっぱり誰だっていい相手がいれば、結婚して、家庭を持ちたいだろう。ミャンマーにはこんなふうに逞しく生きている女性がたくさんいる。

1月30日(火)

一日休養。

1月31日(水)

MY023 さんにお会いしてきた。「ホテルの前に迎えに行く」と言ったので、待っていたのだが、待ち合わせの時間に彼女は、なんと車を運転してやってきた。写真のイメージどおり、初っ端から大人の女の雰囲気。助手席に座るなりお土産を手渡され(後で見たらペン立てと腕輪だった)。彼女も英語話者ということでMY016 さんと同じく、村上春樹の「ノルウェイの森」の英語版をお土産に渡した。私の胃の病気のことを知っている彼女は、「どこで食事をしたい?」と尋ねてきて、ピザとホットポットの店を挙げたので、私は迷うことなくホットポットを選択。実はそんなに好きではないのだが、ピザなんて日本でいつでも食べられるので、わざわざミャンマーで食べる気がしなかった。

そして彼女が連れて行ってくれたのは、日本大使館近くにある有名なホットポットの店。鍋をつつきながらよもやま話。現在、彼女は日本語の勉強を始めたばかりらしく、「こんにちは」「おいしいです」「どういたしまして」といった基本的な日本語が口から飛び出してきた。語学のセンスがあるので上達も早かろう。昨年の春の日本旅行がとにかく楽しかったらしく、日本にはいいイメージを持っているよう。あとイタリアやフランス、アメリカにも旅行したいと言っていました。MY022さんと同じくアクティブな性格のようですが、彼女のほうが少し内省的な面がある感じ。

ちなみに彼女は今年の4月に再び日本を旅行する予定で、名古屋にもやって来るので、またお会いたいと思う(※残念ながら日本旅行は中止になりました)。

2月1日(木)

バスでマンダレーへ。

2月2日(金)

マンダレーに行ってMさんにお会いしてきた。昨年の2月26日に続いて二回目の面会だが、昨年一緒に会ったHさんは仕事でヤンゴンに引っ越してしまったので、今回はMさんだけ。Mさんは今年で37歳になる独身女性で、N3取得者、日本語のツアーガイドをやっている(ちなみにミャンマーではガイドも通訳も試験をパスしなければなれない)。昨年の今頃にガイドになったばかりのMさんだが、昨年はバガンで24回ほどガイドを務めたそうで、なんとなく風格も出てきて日本語も若干上達している感じ。このガイドの仕事はMさんの日本語の先生兼ガイドからもらった仕事のようで、やはりミャンマーは日本よりもコネで仕事を回しているようだ。

Mさんはザ・ミャンマー人女性という感じの人で、いつもロンジーを着ていて、この日もバイクを運転して私のホテルまでやって来て、二人でマンダレーヒルなどを観光した。プロのガイド付の観光とはなんとも贅沢……が、一つ奇妙なことが。マンダレーヒルは階段を昇っていくと、節々に仏像が安置されていて、皆、拝んでいくのだが、彼女はただ通り過ぎるだけ。思わず「お祈りをしないんですか?」と尋ねると、「あの……私は他のミャンマー人とは違うんです」と言い、「いくらお釈迦様を拝んでも、自分が頑張らなければ仕方がないから……」と答えた。どうやらMY016さんと同じく仏教に懐疑的な女性のようだ。

観光が終わった後、カフェに入ってお茶。世間話をしながら、さりげなく「なんで、結婚しないの?」と尋ねると、「仕事や日本語の勉強が忙しいから…」というこれまたミャンマー人女性から何度も聞かされた返事が返ってくる。まあ本音じゃないのは知っている。バイクでホテルまで送ってもらって別れた。今日は一日ありがとうございました、Mさん。

2月3日(土)

昨年の2月25日に会ったKさんとMさんがホテルにやって来る。バイクで近くのカフェへ。Kさんは今年の秋に日本語学校に留学する予定で、Mさんは6月に実習生として日本にやってくる予定なのだとか。知り合いがどんどん日本に来る。二人ともこの日は仕事があって一時間ほどの短い面会に終わった。

2月4日(日)

この日会うはずだった男性から連絡がなく、一日、ホテルの周囲を散歩。ふと入ったお寺を掃除して帰った。件の男性はこの夜24時を過ぎた時点でブロック。まったく人の時間も金も無駄にしやがって。

2月5日(月)

午前中モンユウ観光。夜、バスでヤンゴンに戻った。

第五回ミャンマー視察(2018年1~2月)(4)

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第五回ミャンマー視察(2018年1~2月)(2)

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第五回ミャンマー視察(2018年1~2月)(1)

1月24日(水)

MY016さんにお会いしてきた。待ち合わせ場所はJunction Cityというデパートの中にある某和食レストランだったのだが、私が間違ってJunction Mawtinという他の姉妹店に行ってしまったため、約束の時間に10分ほど遅れて到着。初めて顔を合わせた彼女はモデルのように目鼻立ちが整っていて、英語も大変流暢。なんでもこの近くにマンションの一室を借りて住んでいて、英語だけではなく数学も教えていて、しかも土日も家庭教師をして働いているそうだ。なかなか大変な生活だが、こういうミャンマー人女性は多い。知能指数が非常に高そうで、肌の色が少し黒いので、さしずめ「ミャンマーの黒真珠」といった趣。お土産に村上春樹の「ノルウェイの森」の英語版を渡しましたが、果たして読んでくれるだろうか?

が、私の英語力では彼女の話の30%しか理解できず、いまいち話が盛り上がらなかったのが残念。あとでそう言うと、彼女は「えーそうなの? でも私、あなたの英語全部理解できたわよ」と言っていたが、そりゃあそうだ。私は簡単な英語しか話せないだから(微苦笑)。それでも「日本人のほとんどが英語を話さないけれど、それでもいいですか?」と彼女に尋ねると、「私は柔軟だから大丈夫。ジェスチャーを交えてなんとかコミュニケートするわ」と答えました。彼女は仏教徒だが、キリスト教徒やムスリム、そして外国人の友だちも多いそうだ。その友だちたち(女性だけ)と一緒にキャンプに行った写真を見せてもらったが、年齢は30歳~33歳くらいで皆独身なのだとか。私が「ミャンマー人女性は結婚したくないのか?」と尋ねると、彼女は「いいえ。真面目な男性がいれば、みんな結婚したいと思っているわ」と答えた。

食事をして別れた後、彼女からメッセージが入り、「まるで古くからの友だちと話しているようだったわ」と言われた。

その後、村上春樹はミャンマー語に翻訳され、読書好きの間では話題になっているようだ(ただし性的描写はすべてカットされているとのこと)。

1月25日(木)

Facebook友だちのRさんにお会いしてきた。彼女のFacebookの友だちには好色そうな日本人の男たちが何人かいて、彼女が自撮り画像をアップするたびにイイネを押したり、コメントを付けたりしている(私もその一人かな?)。が、ミャンマー人女性に多いパターンだが、実際会ってみると、非常に真面目な印象でした。ちなみに彼女には日本人の彼氏と飼い犬がるそうだが、今、犬は犬を躾ける「犬の学校」なるところに預けているのだとか。不思議なサービスがあるものだ。

先日結果が発表された日本語能力試験のN4に合格した彼女ですが、ミャンマー在住のミャンマー人としては会話能力はかなり高いほうで、なんでも彼女の通っている日本語学校は朝の9時から夕方の5時までぎっちり授業が詰まっているらしく、ここまで授業が長い日本語学校はヤンゴンでは彼女の学校だけで、授業料も他の学校に比べてかなり割高なのだとか。それだけ彼女の本気度が垣間見れるが、N2に合格したら、日本の日本語学校に留学する予定だそう。N2取ったら留学する必要がなさそうなものだが、彼女曰く、とにかくミャンマーの地場企業の給料が安い。よくてせいぜい20万チャット、ミャンマーにある日本企業だと30万~50万チャットもらえるが、日本のミャンマー関係の企業に就職すれば、もっとたくさん給料がもらえる。例えば日本企業で20万円の給料をもらって、ミャンマー配属になると、左うちわの生活ができる、ということで、皆こぞって日本の日本語学校に留学したがっているのだとか。

かなり自分から色々話すタイプで、私としても相手にするのが楽だった。私が帰国する前にもう一度会う約束をした。沖縄の歌が好きだというので(ミャンマー人に多いです)、彼女と別れてホテルに帰った後、The Boomの島唄の動画を送ってやると、大変喜んでいた。

彼女は現在Huawei勤務の中国人男性と付き合っていて、中国語もペラペラになっています。彼も非モテ風で笑いました。

1月26日(金)

美人双子姉妹のMY019さんとMY020さんにお会いしてきた。第一印象は写真で見たよりも瓜二つで、まったく区別がつかなかったが、見慣れてくると段々違いがわかってきたという次第。改めて尋ねると、左のMY019さんがお姉さんで、右のMY020さんが妹だそう。実はこの二人のいずれかとお見合いをしたいという申し込みが既にあって、そのことを彼女たちに伝えると、「その人はいったい私たちのどっちが好きなの?!」とMY020さんが多少憤慨していたが(微苦笑)、事情を説明すると、ようやく大人しくなった。

私はMY009さん以外田舎のミャンマー人女性を知らず、彼女がとてもシャイで寡黙だから、この二人もそうなのかな? と思っていたが、さにあらず、よく笑い、よく喋る二人だった。写真は私の話を神妙に聞き入っている二人。二人一緒に日本に行きたいので双子の男性を紹介してくれないか? という無理な要求もしてきたが、終始、真面目に私の話を聞いていた。そして最後に「二人はそっくりだけど、一番違う点はどこですか?」と尋ねると、「髪の長さ」と答えた(微苦笑)。

面談は二時間にも及び、かなり疲労困憊してホテルに戻りました……が、ホテルに戻った後、MY004さんから「結婚することになったので、そちらの登録は止めたい」というメッセージが入る。おめでとうございます、MY004さん。お幸せに。

1月27日(土)

MY035さんにお会いしてきた。彼女は29歳にしてN2取得者で、日本に行ったことのないミャンマー人は、たとえ日本語能力試験をパスしても日本語を話せない人も多いのだが、彼女はペラペラ。これまであった中でも最高レベルの日本語話者の一人だった。先日まで某日本企業で働いていたのだが、営業の仕事が肌に合わずに退職。その後最近ミャンマーに進出した某日系大手スーパーの面接を受け、これもパスしたのだが、仕事の内容がキツイわりには給料が安いということで断ったそう。今年は日本語観光ガイドの試験を受ける予定なのだとか(ミャンマーではガイドや通訳をやるには資格が要ります)。日本では一般に営業職が花形ですが、ミャンマーではパソコンを使う仕事とかガイドといった専門職が人気ある。

二人でシェエダゴンパゴダを冷やかした後、和食レストランへ。彼女は日本食も行けるのだが、日本のコメを二口三口食べると、お腹がいっぱいになる性質らしく、せっかく頼んだ定食を半分ほど残してしまった。最近、お姉さんが結婚したらしく、聞いてみると、お姉さんは40歳、相手の男性は25歳の軍人で、家族一同唖然としたとか(ちなみにFacebook で出会ったそう)。ミャンマーではなかなかいい結婚相手が見つからないので、こういうことが起きるのだろう。彼女に「結婚する気はないのか?」と尋ねると、一応あると答えました。けれどもミャンマーの男性はあまり好きではないので、どうしようか……というところのようだ。ちなみに彼女は私の仕事のことを知っているが、なんとなく時期尚早な気がして、今回は登録をお願いしなかった。食後、バス停で別れ、彼女はレーダンにある英語学校へ向かった。

彼女と会った後、21日に会った女性たちが、Japanese Film Festivalを観にダウンタウンにやって来たので合流して、ピザをごちそうした。新たに三人の女性に登録してもらう……が、毎度のことながら大人数の女性の相手は疲れる。

今でもとても仲良くしています。素敵な女性です。よろしくおねがいします。

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第五回ミャンマー視察(2018年1~2月)(1)

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第四回ミャンマー視察(2017年7月)(3)

1月19日(金)、20日(土)

中部国際空港からソウル経由でヤンゴンへ。ヤンゴン国際空港には夜の十時頃に着く。ミャンマー渡航前に常宿のWhite House Hoteにタクシーで空港まで迎えにきてくれるように何度もメールを出したのだが、梨のつぶてだった。とはいえ、あの眼鏡のマネージャーが経営から手を引いて以来、あのホテルはこういうことばかりなのであまり驚きもせず、それでも夜分遅くヤンゴン空港に着いて、11時が門限のホテルにチェックインできなかったらたまらないので、空港で夜を明かして、早朝にタクシーでホテルに向かう。

が、着いてみるとどうも様子がおかしい。このホテルは朝の5時になるといつも、女の子たちが起きだして黙々と掃除をし始めるのだが、この日は6時半に着いた時でもドアが閉まったままで人気がなかった。ホテルの向かいの店でミネラルウオーターを買ったついでに店の主人に事情を尋ねると、なんと一ヶ月前に閉鎖されたとのこと。たしか元マネージャーがカンドーヂ湖の近くに新しいホテルをオープンし、このホテルはリニューアルするとは聞いていたので、リニューアルするまでの一時的な閉鎖かもしれないが……今回もここで当たり前のように寝起きして、シャワーを浴びて、洗濯をして、従業員の男の子たちと駄弁ってと思っていただけにショック。13年前に初めて訪れて以来、計5回泊まり、たくさんの人と出会い、ホテルの人たちとも仲良くなり、かつては漫画家の水木しげるも泊まった名門安宿だけにとても寂しい。

ということで大急ぎで他のホテルを探してチェックイン。値段はWhite House Hotelより高めだが、部屋は広くて清潔でコスパには見合っていた。ただシャワーが水なのは残念。昨日からの疲れが溜まっていたので、部屋に入って爆睡。夕方頃起きだすと、Messengerにメールがたくさん入っていたので、それに返事をして、夜の7時になるとMY005さんのお姉さんがホテルにやって来て、MY005さんへの荷物を受け取る。8キロもあったので、申し訳ないけど半分の4キロに減らしてもらった。私としては夕食を一緒に食べるつもりだったのだが、彼女は荷物を受けると「サンキュー」と言って、さっさと帰ってしまった。まあ、ここから家までバスで一時間くらいかかるようなので、ミャンマーの女性には遅すぎる時間だったのかもしれない。さらにこの後、若いミャンマー人女性の恋愛相談に乗りました。シリーズの彼女からメールが入って、近くに住んでいるのだから今から会おうと言うと、「こんな時間に外に出て行ったら、お父さんに怒られる!」と言われた(微苦笑)。こんな時間と言っても夜の8時に少し外に出るだけなんだけど。

彼女の門限は最近9時になりました。

1月21日(日)

昼頃今回弊社に登録してくれた女性たちにお会いしてきた年齢は21歳~28歳。スーレーパゴダ近くの公園で待ち合わせをして、その後、近く……と言っても歩いて25分ほどのところにある日本食レストランへ。その間、彼女たちと日本語で少し会話を交わしたが、皆日本語を勉強し始めて半年ほどだというのに、簡単な会話なら話すことができてびっくりした。特にピンク色のロンジーを着た女性は、さすが大卒だけあって、とても上手だった。やはりミャンマーの某老舗日本語学校の校長先生が「韓国人の次にミャンマー人が日本語が上手」というように、ミャンマー人と日本語の相性は良いようだ。

レストランに入った後、彼女たちにメニューを渡し、「好きなものをなんでも食べなさい」と言ったのだが(ちなみに日本円に換算すれば、そんなに高くない)、日本食を食べるのは初めてのようでなかなか注文が決まらず。結局、6人中4人は天婦羅うどんを頼んだ。天婦羅のようなものはミャンマーにもあるので、とっつきやすかったのだろう……が、皆、とても不味そうに食べていた(微苦笑)。日本に住んでいるミャンマー人もそうなのだが、うどんと蕎麦は口に合わないようだ。まあ、うどん自体あまり美味しそうではなかったが……。

食後は彼女たちの身の上話を色々聞く。大学生、幼稚園の先生、小学校の先生、看護婦など色々なバックグランドを持つ彼女たちだが、今は皆仕事を辞めて介護士として日本に行くために日本語の勉強をしているとのこと。他にも性格を知ろうと思って色々聞いたが、やはり短時間では難しかった。が、それでも彼女たちと面と向かって顔を合わせて悪い印象を抱く人はいないはずです。

その後、彼女たちをバス停まで見送ってお別れ。この後、MY004さんともお会いする予定だったが、あいにく彼女が頭痛を訴えてキャンセルとなる。残念。

ピンク色のロンジーを着た子はN2の試験に受かり、今は日本の介護学校に通っています。葛飾北斎の富士の絵が好きだそうで、あれを見るとやる気が湧いてくると言っています。

1月22日(月)

MY018さんとMY021さんに会ってきた。二人は友だちだったようで、MY018さんは写真で見たとおり、とてもおしとやかで、寡黙な女性だった。が、MY021さんはFacebookに載せているふざけた写真とは裏腹に非常に真面目で、これまで会ったミャンマー人女性の中でも一番シャイなんじゃないかと思えるほどシャイな感じの女性で、私と話す時もか細い声で恐る恐る話す感じだった。どうやら写真を撮る時だけふざけた格好をしているようである(ミャンマー人女性に多いパターン)。やはり会ってみないとわからないものだ。

某和食レストランに入って色々とお話。彼女たちはお寿司の定食を頼んだが、わさびを見ると顔をしかめて「ノーサンキュー」と言った(微苦笑)。相手の性格を把握したくて色々質問をしたが、二人とも口数が少なく、なかなか話が弾まない。聞いてみると、二人とも男性と口を利くのは苦手とのこと。

MY018さんはデザインの大学で一年勉強した後、ロンジーのデザイナーとして一本立ちしていて、自分の店を持っているようだ。でも「仕事はどうか?」と尋ねると、「好きな仕事だけど、忙しすぎるから、あまり面白くない」と答え、「これまでの人生で一番楽しかったことは?」という質問にも「仕事が忙しすぎて、あまりいい思い出がないと答え、「仮に日本人男性と結婚して日本に住むことになっても仕事を続けたいか?」という質問には、「やりたいけれど、幸せな家庭を築くことが優先」と答えた。平凡な人生を望んでいるようだ。

一方、MY021さんは実家の建築業を手伝っていて、楽しい思い出については、「カナダで働いている兄がお金を送ってくれた時」と答えた。また日本人男性と結婚した場合にDVに遭うことを極端に恐れていて、「日本人男性でそういうことをする人は少ない」と言うと、ホッと胸をなでおろしていた。ミャンマーではDVが非常に多く、それも妻や恋人の顔をバーナーで焼いたりというひどいものも多くて社会問題になっている。こんな可愛らしい女性が30歳を超えて独身というのは、日本人にはわからない感覚かもしれないが、こういった事情も絡んでいるのだ。そして改めて二人に「好きなタイプの男性は?」と尋ねると、口を揃えて「真面目な人」と答えた。それ以外に何かないか? と尋ねても、「ない」と首を振るばかりだった。

この日はこの後MY024さんともう一人とも会う予定だったのだが、MY024さんが急病で後日となった(結局、今回は会えなかった)。

1月23日(火)

昼頃日本の日本語学校への留学を考えている23歳のAさんに会う。たまに勘違いしている人がいるが、ミャンマー人女性はそんなに簡単に弊社に登録してくれない。彼女にも弊社のスタッフが数ヶ月かけてmarriage agencyの仕組みを説明して理解してもらい、私がミャンマーに来るということで、ようやく会ってもらえたのだ。

私とスタッフと彼女と三人で喫茶店に入って色々とお話。留学費用がものすごくかかるわりには(100万円くらい)教室に外国人しかいないから日本人と接する機会がない、アルバイトでは碌に日本語を使わない、そもそもアルバイトに追われて勉強する時間がほとんどなく、思ったほど日本語が上達しない、コスパに見合わない……ということで、私は日本留学反対派である。声を大にして言うと差し障りがあるので、相談を受けた親しい友達には「やめておけ」と言っている……が、それでもみんな来てしまう(微苦笑)。彼女にもそう話したのだが、やはり来ると言った。ということで彼女に色々日本の生活や日本語学校のことを教えてやり、少し日本語も指導。そして最後にmarriage agencyの話をすると、少しはにかんで、「いい人だったら結婚してもいい」と答えたが、まずは留学が先決ということで登録はしてくれなかった。こういう場合は無理に圧さない。いずれタイミングを見計らい、日本留学後一年くらいしてから、彼氏がいなければ、もう一度誘ってみようと思う。

もう一人は実習生を終えて12月にミャンマーに帰ったばかりの27歳のSさん。昨年の10月くらいからMessengerのビデオチャットでよく話すようになって、この度、私のミャンマー訪問の際に会う約束をして果たした格好。性格は素朴そのもので、実習生時代はお年寄りの日本人に大変可愛がられたというのもよくわかる。日本語能力試験はN5しか持っていないが、会話力はN4レベル、聞き取り能力はN3レベルくらいかな? また彼女はミャンマー人女性のわりには腕も脚も太いが、それもそのはず、実習生として日本に来る前はキャディーとしてミャンマーのゴルフ場で働きながらゴルフをプレーしていたそうだ。日本でも一度コースを回ったことがあるが、そのスコアはなんと108! なかなかの凄腕である。

まず二人でシェエダゴンパゴダに行く。彼女と一緒に行ったせいか、初めて窓口で外国人料金を徴収されなかった(微苦笑)。まあ本当は払うべきなのだろうが、入場料は10ドルくらいするので、いちいち払っていると懐が痛い……ということで今回は自己申告せず、彼女と自分に甘えることに。その後、タクシーで名前失念のデパートへ行って喫茶店に入り、さらにその後、デパート内のスーパーマーケットを散策。ドラゴンフルーツをプレゼントにもらいました。彼女はこういった接待に慣れてないらしく、終始ぎこちなくて、なんとかして私を楽しませようという態度がとても微笑ましかった。

彼女にも今回は登録の話はせず。あまりにも素朴な性格のため、まだその話をするのは時期尚早と判断したからである。そのかわり「私が結婚したら、あなたも結婚を考えてください」と遠回りに伝えておいた。ミャンマーではこういうしっかり者の女性に限って生涯独身になりがちなので、もどかしいのだが、焦ってすべてをぶち壊しにしたらなんにもならない。我慢、我慢。 ホテルに帰った後、突然、体調不良に陥って爆睡。

第五回ミャンマー視察(2018年1~2月)(2)

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第四回ミャンマー視察(2017年7月)(3)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第四回ミャンマー視察(2017年7月)(2)

7月25日(火)

朝10時にDICAへ。登録証を貰ってミャンマーにおける会社登録完了。ビジネスパートナー二人と一緒にスーレーへ。彼らは会社の印鑑を作りに行ったが、私はお腹が痛かったのでホテルに引き返し、速攻、トイレに駆け込む(苦笑)。しばらく部屋でパソコンをいじっていたが、煙草を吸いたくなって一階のロビーに降りると、既に彼らが来ていた。なんで声をかけてくれないのか(笑)。一緒に近くの日本料理屋に行って昼食を取る。その後、ホテルに戻って、北関東某県で実習生をしているミャンマー人の女友達から荷物を託された彼女の妹の到着を待つ。時間になると、彼女から「妹が到着した」というメールが入り、ホテルの表に出るが、たくさんの荷物をだるそうに抱えた青年がいるだけだった。彼に尋ねると、たしかに彼女の使いだったが、これは妹ではなく弟だろうと写真を撮って彼女にメールを入れると、彼は彼女の妹の彼氏ということだった。荷物を受け取り、お土産にランブータンを大量に貰う。思いの外、用事が早く終わったので、ホテルの近所を散歩。ホテルに戻ってパソコンをいじっていると、久しぶりにマノーラマ僧院で知り合ったRさんからメールが入り、今度のスピーチコンテストに出場するので、原稿を見て欲しいと頼まれた。彼女は現在とある日本企業で働いていて、話は限りなく脱線するが、私は彼女のことを絶世の美女と思っているのだが、ミャンマー人男性からすると、肌の色が少し黒いので、そうでもないらしく、彼氏はいないということである。まあ、彼氏のいないミャンマー人女性なんて珍しくもなんともないけど。ということで、暇だったこともあり、それ以上に下心も働いて、その日のうちに彼女の原稿を添削する。「概念」とか「競合者」とか難しすぎる言葉を使っている以外は、特に間違いもなく、なかなかよく書けていた、ただ内容が少しありきたり。そうメールを送ると、「本当にありがとうございます」という返事を貰って、ほっこりした。

この絶世の美女さんも今は日本で働いています。連絡はありません 😆 

7月26日(水)

10時頃起きる。昼食を取りに外へ出ると、激しい雨。途中で傘を買って、また昨夜複数のミャンマー人の友達から「ミャンマーでインフルエンザが流行っているから気をつけて」というメールが入ったので薬局でマスクを買う。道行く人々にマスク姿が目立つ。オンノウカウソエを食べた後、ホテルに戻る途中、MY004さんとバッタリ出くわす。なんでも最近引っ越しをしたらしく、なんと私が泊まっている通りの隣の通りに住んでいた。一声かけてくれればいいのに。ホテルに帰った後、残りの少ない日々に会いたい人複数に電話をかけるが、いずれも連絡が取れず。仕方なくFacebookに日本語学習の教材をアップして時間を潰す。夜は今回初めてスーレーの近くにあるビアホールに繰り出す。いよいよ今回のミャンマー訪問も終わりに近づいたと実感。

7月27日(木)

10時頃起きだして、ヤンゴン川の向こう側にある貧困地区のダラを観光するためにフェリー乗り場へ行く。そこでガイドだと名乗る女の子に捕まって、結局、10000チャットでガイドを頼むことに。フェリーは日本から寄贈されたということで、日本人は無料。対岸に着くと、ガイドと二人バイクに乗って繰り出す。最初に訪れたのはパゴダ。250人くらいの僧侶がいるということだが、かなり寂れていて、野良猫や野良犬がウロウロしていた。金曜日の仏様にお参りしたいと言って、ガイドの彼女に頼んだのだが、なかなか見つけられず、様子が変と思って聞いてみると、彼女はムスリムで普段パゴダなど来ないので、あまり知らないのだという(笑)。次は漁村。といっても小さな魚くらいしか取れないらしく、家も人々の身なりもかなりボロボロ。農家もあるのだが、一日働いても、2000チャットくらいの収入にしかならないのだという。その後、マーケットを冷やかした後、クリスチャンの男性が運営する孤児院へ行く。色々説明を受けた後、10000チャット寄付する。その後、フェリー乗り場に戻り、フェリーに乗ってヤンゴンに帰る。丁寧にガイドをしてくれたので、彼女にはガイド料として約束の二倍の20000チャットを払ったが、お金を貰えばもう用済みなのか、彼女は「ありがとう」と一言言ってお金を受け取ると、さっさと消えてしまった(笑)。まあ、いちいち他人の感情移入していられないほど生活に追われているのかもしれないが、やはりこういうのは寂しい。その後、ホテルに戻って昼寝。バイクに二時間ほど乗っただけなのに、ものすごく疲れた。その後夕食を食べて寝る。

7月28日(金)

11時にMY015さんの兄に会いにシェエダゴンバゴダへ。彼女の荷物を受け取ることになっていたのだが、約束の時間になっても彼は現れない。Messengerで彼女に連絡すると、なんでも彼は会社で事故にあって病院に行っているそうなのだが、大事ではないので、少し遅れてやってくるとのこと。しばらく待っていると、果たして彼はやって来て、写真でみたとおり、妹によく似たイケメンだった。私の中学時代の同級生にそっくりで少し笑えた。近くのレストランに入って食事をし、言葉が通じないミャンマー人との常だが、型通りの会話に終始して、和やかに別れる。会計は彼が持ってくれた。その後、同じ場所で7月13日に会ったSさんの妹と再び会う。彼女からも日本にいるお姉さんへの荷物を託されたのだ。荷物を受け取ると、タクシーに乗って二人でインレー湖へ。市民の憩いの場であり、デートスポットなのだが、いまいち水が綺麗でなく、乗り切れなかった。二人で湖のほとりにある食堂に入って、ジュースと天ぷらをいただく。途中、日本にいるお姉さんがMessengerの電話で参加して盛り上がる。余ったてんぷらは鳩と湖の魚にやった。彼女と別れて、タクシーでホテルに戻る。

7月29日(土)

12時にダマレキタ僧院へ。僧院長から昼食をご馳走になって生徒と先生を待っていたが、やって来た先生は、昨年お会いした細身が多いミャンマー人女性の中でも人一倍細くて若い女性だった。あちらも私のことを覚えて挨拶し、お土産に日本のマンガを渡す。授業はまだ「あいうえお」をやっている段階で、ミャンマー人の苦手な「つ」の発音を熱く指導して、先生に感謝された。段々私もコツを覚えてきたな。4時に僧院を辞去して、バスでスーレーに戻り、ビアホールで待っていたビジネスパートナー二人と弁護士とその妻と邂逅。場所をカフェに移して、しばらく懇談。終わった後、ホテルに戻り、夕食を食べに行って、またホテルに戻る。Facebookを見ていると、N先生が夫婦でインフルエンザに罹り、隔離病棟に入院した報が入る。心配になったが、夫婦そろって入院の記念撮影の写真をFacebookに載せている余裕があるころからして、容態は深刻ではないのだろう。実際、数日後、二人とも退院した。

7月30日(日)

11時にダマレキタへ。MMMさんが来ていると思って早く行ったのだが、結局、彼女は見当たらず(後で知ったが、彼女は僧院の近くの先生の家で日本語の自習をしていたそうだ)。僧院前の雑貨店で自習をしていた女の子の勉強を少し手伝う。1時頃からぽつぽつと生徒が集まり始め、BasicクラスのM先生とこの日はここで授業をやるらしいN4~N3のW先生もやって来る。一つの教室で授業を二つやっているのでとても騒がしかった。M先生は授業のやり方がとても上手く、おおかたのミャンマーの先生がほとんど全部自分で喋ってしまうのに対し、会話問題を生徒たちにやらせたり、練習問題を解かせたり、和文ミャンマー語訳をやらせたりと工夫を凝らしている。ということでほとんど私の出る幕がなく、もっぱらN4~N3のクラスを手伝う。4時頃、各先生と僧院長に挨拶をして僧院を辞去し、バスでスーレーへ。ルビーマート近くのホテルへ行って、ビジネスパートナー二人とともに、長年ミャンマーで事業をなさっているK氏と邂逅して、貴重なお話しを拝聴する。その後、ビジネスパートナー二人と一緒にスーレー近くのビアホールへ行って慰労会。ビールをしこたま飲んで、お互いの健闘を称えあい、再会を誓って別れる。

7月31日(月)

午前中は自分と日本に住んでいるミャンマー人の友達のためにお土産を買う。昼の1時半にホテルの人たちに挨拶をして、タクシーで空港へ。ダマレキタのBasicクラスのM先生が仕事で空港に行くので、会うことにしたのだが、2時半頃に空港に着いて彼女にメールを送ると、「予定が変更になって、3時半に行きます」という返事。が、待てど暮らせど、彼女はやって来ない。4時半頃、スピーチコンテストの原稿の添削をしてあげたRさんからメールが入る。実は前日にもまた原稿を見てあげて、会いたさのあまり、「直接会って教えるのでが一番いいんですが……」と言ったら、空港まで見送りにきてくれたのだ。国際空港のケンタッキーフライドチキンの前で一年ぶりに会うRさんは、手足がすらりと長く、髪が長く、凛々しさと幼さが同居する典型的なミャンマー美人だった。職場も住居も空港の近くだそうだ。コーラを飲みながら彼女が原稿を読むのを聞いたが、少し訛りが強すぎたので、修正してやった。コンテストの一次選考まで一週間、二次選考まで二週間なので、これでは間に合わないかもしれない。せめて一次選考を通過すればいいのだが……勉強が終わった後、プライベートな会話をしたが、彼女の日本語力の不足以上に、お互いの感性の相違によって、いまいち話が弾まず、とても悲しい思いをした(苦笑)。これは脈なしだ。でもまあ40歳も超えて20代半ばの女性とこうして二人でお茶を飲めるだけでも幸せと思うべきなのだろう。彼女と別れた後、ビジネスパートナー二人と邂逅。彼らも見送りにきてくれたのだ。彼らと別れた後、チェックイン手続きをしてゲートへ向かう。さてこの後が大変だ……。

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第四回ミャンマー視察(2017年7月)(2)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第四回ミャンマー視察(2017年7月)(1)

7月18日(火)

11時にDICAへ。先週と同じくDICAの役人の方と食堂のテーブルを囲んで会社登録の手続きを進める。用事が終わった後、タクシーでビジネスパートナーの家へ行ったが、車が走り出した時、車窓の外にホワイトハウスの前マネージャーの姿が見えた。恐らく彼も新ホテル設立の準備で忙しいのだろうが、昨日に引き続いてなんたる偶然。ビジネスパートナーの家はかなり辺鄙なところにあって、周囲は農村。家の前には乳牛が二頭草を食んでおり、隣の家では鶏が盛んに鳴いていた。家はとても小さく、はっきり言ってあばら家で、電気は通っていたが、ガス、水道、下水道はなかった。子供の頃から一生懸命日本語を勉強して日本語をものにしたというのに、経済的成功には結びついていない様子。が、彼に卑屈なところは全然ない。少し仕事の話をした後、もう一人の仕事を手伝ってくれている青年の家へ。てっきり独身だと思っていたのに奥さんがいた。お茶とラペットゥとサトウキビで作ったお菓子を食べながら、しばらく談笑。その後、ビジネスパートナーから日本語を学んでいて、今度、東京の大学に留学する19歳の女の子の家へ。あばら家ばかりの家群の中で彼女の家はとても立派だった。庭にマンゴーの木がなっていて、私がマンゴーが好きだと言うと、マンゴーを三つ包んでくれた。その後、今度はビジネスパートナーの友達だという28歳の女性の家へ。その家では小学生のための英語と数学の塾を開いていて、子供たちでいっぱいだった。恐らく教育熱心さにおいては、ミャンマー人は日本人以上だろう。その後、ビジネスパートナーの家に戻って、19歳の彼女の日本語学習を手伝う。大学の授業は英語で行われるらしいのだが、日常生活のために日本語を学んでいるのだという。日本語を勉強し始めてまだ数ヶ月だが、なかなか筋がよかった。途中、ビジネスパートナーの奥さんが帰ってきて、挨拶。近くの小学校で先生をやっているとても穏やかそうな女性だった。勉強が終わって、紅茶を飲み、マンゴーを食べながらしばらく談笑した後、タクシーでホテルに戻る。この日も恋愛相談に乗っていた若いミャンマー人女性の愚痴を聞いて寝る。

この彼女はその後奨学金を得て日本の大学に留学しました。

7月19日(水)

この日はMY005さんに12時に会う約束だったが、「洗濯をしているので1時に会いましょう」というメールが入り、1時に待ち合わせ場所のサクラタワーに行く。が、30分過ぎても彼女は現れず、電話もメールも通じない。持ちぼうけを食っていると、ダマレキタ僧院で知り合った元僧侶の青年と偶然出くわした。可愛い彼女と一緒だった。2時頃になってようやくMY005さんから連絡が入り、なんとか邂逅。「1時に行く」というメッセージは「1時に家を出る」という意味だったそうだ(苦笑)。二人でホットポットの店に入り、食事を終えた後、アウンサウン将軍が殺された建物へ行く。この日はアウンサウン将軍の命日で、ミャンマーの休日だった。が、建物の前は黒山の人だかり。圧死者が出たということで、警察、軍隊、救急隊員も出動していて周囲は騒然としており、結局、中に入らずに引き返して、シティホール近くのハンバーガー屋に入り、彼女の日本語の勉強を手伝う。12月にJLPTのN2を受けるそうで、読解のテキストを見せてもらったが、センター試験並みの難しさだった。これをそこそこ解くのだから彼女の日本語力は大したものである。また問題文を読む前に質問と選択肢を先に読むそうで、試験攻略的にも正しいことをしていた。この前、日本の某システムエンジニア会社の面接を受けて、もしも採用されたら、10月から東京で働くことになるそうだ。給料は22万円ほど。初任給だと思えば、日本人と同じではないか(ちなみに同じ会社で働いている彼女と同い年のミャンマー人女性は月給30万円貰っていて、日本人の恋人もいるそうだ)。またN2に受かったらミャンマーで月給12万円くらいの仕事にありつけるらしく、これもかなり水準が高い。それなのになんでそんなに日本で働きたいのか? と尋ねると、彼女は恥ずかしそうに「日本でお風呂に入ってみたいんです」と答えた(笑)。3時間ほど勉強した後、彼女と別れて、ホテルに戻って、この日は恋愛相談に乗っていた若いミャンマー人女性の愚痴を聞かずに寝る。

7月20日(木)

この日は特に予定がなく、久しぶりにゆっくり。午前中、ボージョーアウンサウンマーケットへ行って、Kさんから買ってくるように頼まれたジャケットとロンジーを見に行ったが、思っていたよりもかなり高かったので、一旦、保留。ホテルで一休みした後、夕方頃にダウンタウンで探し回ったが、見つからなかった。もはや伝統着は普通の衣服店では売ってないのだろうか? 夕食は地元レストランでオンノウカウソエを食べ、写真をFacebookにアップすると思わぬ反響があった。やはり外国人が自国の文化を尊重しているところを見るのが、嬉しいのかもしれない。帰りは雨に降られ、ほうほうのていでホテルに帰る。8階のルーフで一人でビールを飲んだ。803号室に同い年ぐらいのロシア人女性が泊まっているようなのだが、一度も姿を見てない。

7月21日(金)

9時にDICAへ。いよいよあとは会社の登録を待つのみとなった。用事が済んだ後、MY005さんに教えてもらったEvertopという日本語学校へ行って、僧院の子供たちのために日本語のテキストを何冊か買う。が、その帰り道、逆方向のバスに乗ってしまい引き返す羽目に。やっとこさダウンタウンに戻り、昼食を食べてホテルに帰ると、停電で真っ暗。エアコンが使えず部屋で休めないので8階のルーフで昼寝。夕方4時頃、再びジャケットとロンジーを買いに、恋愛相談に乗っていた若いミャンマー人女性に教えてもらった、ホテルの目と鼻の先にあるThein Gyi Zayマーケットへ行ったが、そこで両方合わせて15000チャットで見つかった。その後、夕食を食べて、明日の朝に備えて早々に寝る。

7月22日(土)

朝7時にホテルを出てヤンゴン中央駅へ行き、バゴー行きの列車に乗る。ミャンマーの長距離電車に乗ったのは初めてだったが、日本の鈍行列車ぐらいのスピードがあり、中にはリクライニングのシートまであって、なかなか快適だった。2時間ほどでバゴーに着くと、今日通訳してくれる予定のFacebook友達のS君に電話をかける。10分ほどしてバイクで現れたS君は、典型的ミャンマー男児の優男で、18歳だというのにかなり日本語が流暢だった。なんでも大学を休学して、日本語学校に三つ通い、日本語漬けの日々を送っているらしい。ただバゴーには観光客以外ほとんど日本人がやってこないので日本人と話すのは私が初めてということだった。彼のバイクの後ろに跨って、シュエモードパヤーの近くで家族でレストランを営んでいるという「すべての人の心に花を」の彼女のところへ。店頭から姿を現した彼女はMessengerで話した時と同じ印象のタフで可愛らしい女性だった。お昼にカレーを御馳走になる。色とりどりに並んだカレーの具のなかで一つだけよく分からない皿があったので、一口食べてみると、これがなんとも言えない味。なんの肉だ?と尋ねると、なんと鼠の肉! バゴーの人々は日常的に鼠の肉を食べているらしい(後でS君から聞いたが、蛇の肉も)。食後、私、S君、彼女、彼女の兄の四人でシュエモードパヤーへ。S君はクリスチャンで、シュエモードパヤー来たのは初めてなのだという。自分の誕生曜日の金曜日の仏様を拝んだ後、四人で休憩所のような建物の中へ。そこで開口一番、彼女に契約のことを切り出すと、開口一番、「両親と相談したい」という返事(涙)。あんたこの前「Yes」って言うたやん。だからはるばるバゴーまでやってきたんやん、と言いたくなるのをグッと堪え、「今度来る時までゆっくり考えてください」とにこやかな表情を崩さずに言う。その後、私とS君だけで王宮跡を回ったが、その帰り道、激しい雨に振られて全身びしょ濡れになる。彼女の店に寄って荷物を受け取り、S君の家へ行く間も雨足は早くなり、彼の家に着くと、着替えのシャツとロンジーをもらった。カレン族の伝統的なデザインなのだという。S君の家族に囲まれてお茶とお菓子をいただく。なんでも彼の姉は現在実習生として愛知県で働いていて、同席した彼の妹も今年の10月に実習生として岐阜に行くのだという。40分ほど話をした後、再びS君にバゴー駅に送ってもらい、お別れ。いや、本当にナイスガイだった。ヤンゴンに戻り、ホテルに帰った後、疲れがどっと出て爆睡。

このへんからこの仕事、7割は無駄と悟りました。

7月23日(日)

朝の6時にN先生の旦那さんがミニバスでホテルまで迎えに来る。この日は二人の子供が生まれた100日目のお祈り?か何かで、ヤンゴンから少し離れたところにある瞑想で有名な僧院に行くことになっていた。先生が勤めている会社の工場に着くと、旦那が「私たちはここに住んでいます」と流暢な日本語で言った。先生夫婦はこの工場の二階に住んでいるらしく、階段を上ると、先生の親戚や友達でいっぱいで、先生の二人の妹もいた。真ん中の妹は一度顔を合わせたことがあるが、その頃より、身体が一回り大きくなって、髪が長くなっていたが、それよりも驚いたのはその性格で、いつも穏やかな先生とは似ても似つかない、かなり気性の激しい感じだった。どこかで見たことあると思ったら、ベトナム人女性だ。まさにベトナム人女性はこんな感じなのである。性根は悪くないので嫌な感じはしないのだが、どことなく疲れる。それが私がベトナムではなくミャンマーを選んだ理由である。二人の子供を初めて見たが、とても賢そうで可愛かった。旦那さんが朝ごはんにレトルトのうどんを作ってくれた。日本人は辛い物が苦手という配慮からである。やがて先生が姿を現す。産後ということで少しお太りになられていた。僧院までの移動中はずっとうたた寝。僧院は森の中にあり、その周辺にはお坊さんや瞑想をする人が住む家があった。日本人も7人ほどいるらしい。僧院に着くと、まずお坊さんがお祈りをして、その後、列になったお坊さんに皆でお布施。その後、皆で昼食を取り、今度は身分の高いお坊さんの話に耳を傾けた。ミャンマーの常だが、何事もあっさり終わる。僧院の中を少し見物した後、またミニバスで先生の家に戻った。別れ際、先生は「先生は(私のこと)40歳で、独身で、一人ぼっちだから、瞑想したくなったらいつでも私に言ってください」とおっしゃったが、どういう意味だろう?(苦笑)。その後、ミニトラックでD僧院まで送ってもらう。N4の勉強をしているクラスに顔を出そうと思ったのだが、先生も生徒も姿がない。Basicクラスの先生に聞くと、他の僧院でやっているということで、そちらのほうに顔を出してみると、授業はやっていたが、生徒は6人ほどしかいなかった。みんな仕事で忙しくてなかなか勉強の時間が取れないらしい。しばらくすると、先日連絡したMさんが姿を現す。彼女も仕事が忙しくてクラスに出ていないのだが、私が来るということで、わざわざ来てくれたのだ。日本語の会話の相手になってやり、彼女が持ってきた会社の業務メールにフリガナを打ってやった。彼女は韓国人が経営し、日本、韓国、中国と取引のある工場で働いているらしい。四時頃、クラスを辞去し、彼女にバス停まで送ってもらう。今度は一体いつ会えるのか。ミャンマーではありがちなことかもしれないが、顔なじみの子たちが次々と姿を消すのはとても寂しい。だからどんな人に会う時も一期一会と思って大切にしたいと思う。ホテルに戻って、夕食を食べて、寝る。

ミャンマーの休日の過ごし方です。この妹さんも今は母親となり、穏やかになっております。

7月24日(月)

10時頃目が覚める。疲労困憊して身体が動かないという経験を初めてした。お昼ごはんを食べた後も、部屋にエアコンを入れて休憩。4時にMY003さんとMY007さんのお姉さん夫婦にスーレーで車で拾ってもらって彼らの家へ。小奇麗なマンションの二階だった。ここで彼女たちの叔母で、二人の紹介者の女性を待っていたのだが、彼女から入ったMessengerを読むと、なんと彼女が日本にいることが判明。先日「ハマモトさん、ミャンマーにいます」とメールがはいったので、てっきりヤンゴンにいるものだと思っていたのだが、彼女の説明によると、「ミャンマーにいますか?」という意味だったらしい(涙)。ということで彼女抜きでレストランに行き、皆でBBQを食べる。お土産も持たずにやって来て、食事だけご馳走になって申し訳ない気持ち。帰りもスーレーまで送ってもらった。ホテルに戻り、シャワー浴びて、就寝。

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第四回ミャンマー視察(2017年7月)(1)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第三回ミャンマー視察(2017年2~3月)(4)

7月11日(火)

ベトナム航空の便でハノイ経由でヤンゴンへ。ハノイ~ヤンゴン間の便がひどく揺れて疲労困憊。初めて雨季に降り立ったヤンゴン空港はなかなか快適な涼しさ。これならば日本の夏のほうが暑いくらいだ。実際、日本に住んでいるミャンマー人は、みんな「暑い、暑い」と言って、日本の夏に辟易している様子である。入国手続きを経て、荷物を受け取り、ロビーに出たが、迎えに来ているはずのMさんがいない。電話をしても通じない。Messengerにメッセージを書くと、「korekara 30pun oinori desu. mainichi yatte masu」という返事。じゃあ、お祈りが終わるまで待つよと言うと、今度は「watashi ha uchi ni imasennyo」という返事。埒が明かないので結局タクシーでホワイトハウスへ。ホテルは女の子の顔ぶれが少し変わっただけで、この前来た時と様子は変わらず、宿泊客は私だけだった。毎年雨季はほとんど客がいないそうだ。部屋に落ち着いて、もう一度、Mさんにメッセージ。会話が噛み合わず、何か変だと思ったので、「Are you in Japan now?」と尋ねると、「Hai」という返事。「July 11th」に行くと伝えたのだが、どうやら彼女はJulyを8月と勘違いしたようだ。やれやれ。他にも色々メッセージが入って、返事を返した後、ケンタッキーで遅めの夕食を取る。もう私はヤンゴンでしかケンタッキーに行かない。味は同じで値段は半額だから。ホテルに帰って熟睡。

Mさんは永住権を持っているので時々日本に遊びにいきます。

7月12日(水)

午前中、ダウンタウンを散策。こう何回も来ると、もはや異国情緒も感慨もなく、「また来たな」程度にしか思わなかった。昼頃、タクシーでDICAへ。そこでビジネスパートナーと落ち合い、食堂でDICAの役人の方から色々説明を受ける。仕事が終わった後、またタクシーでホテルに戻り、昼寝。雨季のヤンゴンはなかなか快適なのだが、やはり気候が違うからか、ひどく疲れる。夕食を食べ終わった後、パソコンを開けていると、MY009さんからメッセージが入る。仕事を辞めたのだという。理由を尋ねると、勤務先のFashion&Spaの店の宣伝用ビデオに通訳として出演することになったのだが、その動画がFacebookに流されると知って、辞めたということだった。恥ずかしいから(笑)。早まったことをするな、と言ったが、既に辞めてしまい、故郷のタチレクに帰るのだとか。土曜日に会う約束をする。

7月13日(木)

「ドアノック失敗!」のSさんの妹とシェエダゴンパゴダで会う。お兄さんと一緒に来ていたが、彼は私に挨拶すると仕事があるからと言ってすぐに消えた。彼女は今年の三月まで二年間東京の日本語学校に通っていたのでとても日本語が流暢。語尾を「~でしょう」とする日本語がとても可愛らしかった。30歳、独身。シェエダゴンパゴダに来るのは三回目だが、この日初めて自分の誕生曜日である金曜日の仏様にお参りをした。その後、仏像の前で二人で駄弁る。なんだかんだ言ってミャンマーは日本に比べて娯楽が少ないので、「話す」というのが最大の娯楽なのだということに気づいて久しいので、臆することなくベラベラと世間話。学業とバイトに追われる日本での生活は大変だったらしく、今はミャンマーに帰ってきてホッとしつつ、求職中なのだとか。「ヤンゴンには日本の会社あまりないでしょう?」と言っていたが、それは違う。ミャンマーにはミャンマー語のホームページというものがあまりなく、Facebook以外にあまりネットを使わないので、色々と情報が不足しているのだ。ひととおり駄弁った後、一緒に昼食へ。近くのレストランが軒を並べている公園へ行ったのだが、「油の少ない料理がいい」という私のリクエストに応えているうちに、高そうなレストランに入る。メニューには値段が書いておらず、ミャンマー人にはかなり高いと思われたのだが、彼女は表情一つ変えず、料理を注文した。このへん、見栄を大事にするミャンマー人の真骨頂を見たような気がした。食後、近くの公園を散歩して、別れる。ホテルに帰って睡眠。起床後、土砂降りの中を夕食を食べにいき、地元民の集うレストランでシャンカウソエを食べる。ホテルに戻り、シャワーを浴びて、就寝。筋肉痛がひどい。

7月14日(金)

2時にビジネスパートナーと懇談。その後、結婚て手続きをしてくれる業者のところに赴く。店を仕切っているのはハキハキとした母娘二人だった。既に日本人とミャンマー人の結婚て手続きを何組も手掛けたことがあり、費用も妥当だったので、ここに頼むことに。夕方は恋愛相談に乗っていた若いミャンマー人女性に会った。詳細はこちら→恋愛相談に乗っていた若いミャンマー人女性に会ってきました。

昨年もこの結婚手続きをやってくれる店に行ったのですが、かなり値上げしていましたね。ミャンマーはインフレ傾向なので仕方ないですが。

7月15日(土)

10時まで目が覚めず。昼食を取った後、ホテルに戻って、ブログを書いたり、メールの返事を書いたり。夕方5時にMY009との待ち合わせ場所のMarketplaceへ。現れた彼女はこの前会った時と変わりなく、元気そうで、とても綺麗だった。仕事を辞めるとか言っていたが、店のマネージャーがビデオ出演を中止にしてくれたので、結局、続けることにしたのだという。店の写真を見せてもらっていたが、かなり高級そうな店で、客はミャンマーの富裕層ばかりなのだとか。彼女がタイ料理が好きなので、タイ料理のレストランに行くことにして、タクシーの運転手に連れて行ってもらうことに。が、「いい店を知っている」と安請け合いした運転手が、実は知らなかったらしく、何度もタクシーを止めて、道行く人々にタイ料理レストランのありかを聞く羽目に。文字通り紆余曲折を経た後、着いたのは見るからに高そうなレストラン。内心ビビっていたがそんなこと億尾にも出さずに、彼女をエスコートしてレストランに入る。メニューを開くと、まあ、なんとかなりそうな値段。三つほど料理を頼んで彼女と一緒に料理を突く。改めて娘さんの写真を見せてもらったがとても可愛く、現在、タウンジーの学校に通っているのだという。彼女は折り合いの悪い父親に黙ってヤンゴンに出てきたそうだ。なんでも再婚した父親が、自分のことを愛してないと思っていて、父親不振に陥っているらしい。なんと純粋・無垢なことか。色々話した後、「今は幸福ですか?」と尋ねると、「あなたとこうして美味しい料理を食べているからとても幸せよ!」という返事。嬉しいやら、何か勘違いしていると勘繰りたくなるやら。帰りもタクシーに乗ったが、今度は彼女が自分のコンドミニアムの住所を覚えていなくて、また周辺をウロウロする羽目に。なんとか送り届けて、ホテルに帰り、メッセンジャーで恋愛相談に乗っていた若いミャンマー人女性の愚痴を聞いて寝る。

昨年、彼女の故郷に行って、色々案内してもらい、一緒にタイ料理をまた食べました。今度は彼女の手料理を食べたいと思っています。

7月16日(日)

この日も9時半まで目が覚めず。12時にダマレキタ僧院へ行く。乗り合いタクシーを降りると、メッセンジャーでよく話すMNMさんがいた。僧院で日本語の個人授業を受けた後で、友達を待っているところなのだという。私が昼食を食べていないと言うと、自分の弁当を私にくれた。カレーと野菜炒め。ご飯の料理が半端なく多く、思わず焦ったが、そんなこと億尾にも出さずにありがたくいただく(が、結局、ご飯は半分残した)。僧院に着くと、見覚えのある女の子が授業前の自習をしていたので、挨拶をする。昨年の5月に初めて会った時はカタコトも話せなかったのに、今では簡単な会話ができるようになっていて、感慨深かった。12月にN3を受け、ミャンマー国内の日本企業に勤めるのが目標だそうだ。なかなか先生も生徒もやって来ないので、時間潰しに「関白宣言」と「川の流れのように」の歌詞を彼女とその後やって来たもう一人の女生徒(といっても既に母親)に教える。二人ともなんとなくは意味が分かった様子。教え終わった後、彼女が「これは先生の会社の書類ですか?」と尋ねてきた(苦笑)。違いますと答えたら、笑っていたが、彼女まで私の仕事のことを知っていたのかとびっくり。丁度いい機会なので彼女に「Facebookで友達になりましょう」と頼んだところ、既になっているとの返事。彼女のアカウントを見せてもらったところ、たしかに見覚えがある。が、プロフィールの写真があまりにもおちゃらけているので彼女と気づかなかった。彼女はいつも澄ました顔をしている。結局、その日は休講だということが分かって二人とも帰り、同じ教室でやっていたBasicクラスの授業を少し手伝った後、前回来た時にN3の授業をやっていると聞いた他の寺へ行く。が、そこでやっていたのは生徒6人ほどのBasicクラスで、結局、漢字を少し教えただけで辞去。この後会うはずだったMY005さんに電話をかけると、この日は都合が悪いということで、ミャンマーの休日である水曜日に会うことにする。乗り合いタクシーでホテルに帰り、また恋愛相談に乗っていた若いミャンマー人女性の愚痴を聞いて寝る。

この彼女はZさんといって、今でもとても仲良しです。日本語もかなり上手になりました。今年の7月に日本に来る予定でしたが、コロナで流れました。残念。

7月17日(日)

10時にビジネスパートナーに会いにスーレーへ。その途中、MPTの前でホワイトハウスの前マネージャーにばったり出くわす。なんでも現在インレー湖の近くに日本のツアー客をターゲットにした一泊50ドルほどの中級ホテルを建設中なのだとか。肺の病気も治ったようで元気そうでよかった。その後、ビジネスパートナーに会って銀行へ。用事が済んだ後、日本食レストランでとんこつラーメンを食べる。スープはまあまあだったが麺はいまいち。ホテルで一休みした後、レーダンセンターへ行ってSさんに会う。例の日本のファッション好きの彼女である。会うなり、お土産の漫画の代金を払うと言って譲らず、押し問答の末、彼女が差し出した10万チャットの束から1万チャット札を一枚抜き取ってありがたくいただいた。その後、レーダンセンターの地階にあるホットポットの店へ。彼女の父親が心臓の病気で入院しており、また彼女自身も膝が腫れる病気に罹っていて、あまり長居はできないとのこと。やはり油と砂糖が多すぎる食文化のせいか、ミャンマー人は若くてもこまめに病気をしている人が多い。日本に行く気はないのか、あるのなら手伝うと言ったが、彼女は「行きたくない!」と頑として首を縦に振らず、彼氏と上手く行っているかと尋ねると、丁度、その彼氏から電話がかかってきて、しばらくして姿を現した。政情不安定な国でジャーナリストをやっている人物だけあって、非常に精悍で聡明な人物だった。正直、彼女とお似合い。挨拶もそこそこに気を利かして辞去する。なんとなく二人が羨ましく、寂しかった(苦笑)。ホテルに帰った後、また恋愛相談に乗っていた若いミャンマー人女性の愚痴を聞いて寝る。

第四回ミャンマー視察(2017年7月)(2)

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第三回ミャンマー視察(2017年2~3月)(4)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第三回ミャンマー視察(2017年2~3月)(3)

3月2日(木)

朝11時、隣のホテルまでシャンガールを迎えにいき、タクシーでシェエダゴン・パヤーへ連れていく。彼女はヤンゴンに来たのはン十年ぶりで、シェエダゴン・パヤーに一度も行ったことがないというので連れていくことにした。ミャンマーの仏教徒にとっては、ムスリムにとってのメッカのような場所だから、さぞかし感動するだろうと思っていたのだが、意に反して彼女の反応はあっさりしたもので、自分の誕生曜日の仏像にお参りをすませると、さっさと退散してしまった(微苦笑)。ただ「Are you happy?」と尋ねると、「Yeah, happy」と答えてくれた。その後、寝仏で有名なチャウッターヂー・パヤーへ。こちらでも彼女の反応はあっさりしたものだったが、シェエダゴン・パヤーよりは喜んでいたかな? 他にも色々連れていこうと思っていたが、あまりの暑さに私が脱水症状に陥ったので断念。一緒に昼食を食べた後、ホテルに帰って寝る。ホテルで休んだ後、夜7時、彼女と一緒に夕食を取りに昨夜に引き続き屋台街へ。この日も彼女はタイ料理を食べたがった。聞けば、彼女は油が多すぎて辛すぎるミャンマー料理があまり好きではないらしい。今後の予定を聞くと、明日、もっと安いホテルに移って、しばらくヤンゴンに滞在して職探しをするのだという。あてはあるのか?と尋ねると、ネットで調べるから大丈夫という返事。いや、久しぶりにこんな大都会に出てきて、なんと逞しいことよ、とかなり感心。なんとかして彼女のためにいい旦那さんを見つけてやりたいと心に誓う。食後、彼女と別れてホテルに帰って、寝る。

3月3日(金)

朝10時半、彼女を見送った後、ホテルに戻って爆睡。昨日の疲れが一気に出た感じ。夕方6時半、女性との待ち合わせ場所であるJunction Centerへ……が、待てど暮らせど、女性はやって来ない。電話をかけても繋がらない。そのうち明日会う予定だった女性からキャンセルの連絡が入って、泣きっ面に蜂。結局、7時半まで待ったが、諦めて帰路に着く。その後、シャンガールが泊まっているホテルに立ち寄って、一緒に夕食。タイ料理にも飽きたのでベトナム料理の店に連れて行ったが、彼女の反応は芳しくなかった(微苦笑)。どうやら口に合わなかったようだ。後で聞くと、「軽い」という返事。やっぱり油が少ない料理はちょっと駄目なようだ。物凄い徒労感を抱えてホテルに帰る。

3月4日(土)

朝11時にダマレキタ僧院へ。土曜日の授業は初めて行ったが、N5に合格してN4を目指している生徒のためのクラスのようだ。知った顔もちらほら。聴解を手伝って2時に早々と辞去。去り際、生徒たちが、ありがとうの歌? を歌ってくれた。タクシーでレーダンセンターへ行って、2月13日に会ったSさんと会う。Sさんが「お八つ食べませんか?」と言うので、ついていくと、麺類を売っている店に連れられいった。夕方に食べるご飯は「お八つ」とは言わないのだが……が、それだけならまだしも、彼女は私のために三つも料理を注文した。しかも全部麺類(涙)。食べられるわけないじゃん……と思いつつ、相手の好意を無碍に扱うわけにもいかず、無理して口に運ぶ。ここからが本題。Sさんは4月に日本に行って日本語学校に通う予定だったのだが、過去、実習生として日本に行ったことがあることを理由に留学ビザの発給を断られてしまったのだという。日本語学校で日本語を学び、その後、ファッション関係の専門学校に行って、もしも叶うのなら日本でファッション関係の仕事に就いて経験を積んだ後、ミャンマーに戻って、日本のファッションの店を開く計画で、そのための資金も既に貯めているのだという。だからこそ今回のビザ発給停止は痛い。もう一つ。彼女には新聞記者をしている彼氏がいるのだが、父親が家柄の違いを理由に結婚に反対しているのだという。また彼女自身も彼氏に今の仕事を辞めて欲しいと思っている。ミャンマーでは新聞記者というのは危険な仕事で、実際、彼氏の同僚で殺された人もいるそうだ。仕事でもプレイべートでも壁にぶつかった彼女の話を聞いて、色々しんみり。彼女と別れた後、同じくレーダンセンターで女性と会い、建物の中のカフェで面談……が、詳しくは書けないが、彼女との契約は止めにした。その後、シャンガールが泊まっているホテルに行って、一緒にタイ料理屋で夕食。食欲のない私はビールだけ。結局、ヤンゴンではいい仕事が見つからず、タチレクに帰ることにしたそうだ。故郷で私が旦那さんを見つけてくれるのをひたすら待つのだという。疲れ果ててホテルに戻り、爆睡。

3月5日(日)

夕方3時、女性との待ち合わせ場所であるホテルシャングリラへ。彼女が昨年の5月に会ったKさん。あれからも色々アドバイスをいただいたので、お礼にお茶を奢ることにしたのだ。ホテルの中のカフェで歓談。が、開口一番、彼女が「日本に行くことになった」と言って腰を抜かした。なんでも公共政策の研究のために、奨学金を得て、日本の某大学に留学するそうだ。「勉強が好きなのか?」と尋ねると、彼女は目を丸くして、「No」と答えたので、今度はこちらが目を丸くした。とにかく激務から逃げ出したいだけなのだそうだ(微苦笑)。日本での再会を約束して別れる。その後、ホテルに帰って爆睡。そろそろ体力の限界を超え始めた。

3月6日(月)

朝9時、シャンガールを見送った後、11時に女性との待ち合わせ場所であるマハバンドゥラ公園へ。ミャンマーに来る少し前にFacebookで知り合い、なんとかして面談にこぎつけた女性である。凛々しい感じの人で、意中の人でもあった。こういう女性はなかなか来てくれない。初めて顔を合わせた彼女は、写真の印象と違って、非常に気さくでよく笑う女性だった。つつがなく面談を終了した後、一緒にヌードルを食べに行ったのだが、その道すがら、私の荷物を持ってくれたり、日傘を差してくれたりと何かと親切にしてくれた。ヌードルを食べている間も色々おすそわけしてくれた(量が多いので、正直、これには迷惑だったがw)。仕事を忘れて楽しいひとときだった。ホテルで昼寝した後、夜7時、Bさんがお土産を携えてホテル近くまで来てくれた。仕事の関係を忘れて、今ではすっかり仲良し。二人で屋台でスイーツを突きながら歓談。なんでもBさんは近々某日本企業に転職して、7月に来日する予定なのだという。まさに日本に一度も来ずに日本語を習得し、日本企業のオフィスワークに就くロールモデルだ。私は高い金を払って日本の日本語学校に留学するよりも、彼女のようなキャリアを強く推奨したい。再会を誓って一旦お別れ。ホテルに帰って爆睡。

3月7日(火)

午前中、お土産を買う気満々だったが、そんな元気もなく、ホテルの部屋でごろ寝。夕方5時半、タクシーで知人のSさんのところへ行く。Sさんは20年前に家族で来日して、日本人男性と結婚して日本で暮らしている。諸般の事情により、今回、久しぶりにミャンマーに帰ったのだが、もはや人間関係も食事も合わず、家族以外の誰とも会わず家の中でそーめんを啜って、ひきこもり状態にあるのだという(微苦笑)。今回は29歳の姪の女の子を紹介してもらった。ムスリムなのだが、その中でもライトなムスリムで、スカーフもまとわず、異教徒との結婚もOKで、飲酒もOKで、自分は豚肉を食べないが家族が食べるのはOK……という感じらしい。ミャンマーの法律が変わって、現在、仏教徒とムスリムは結婚できないので、超少数派のライトムスリムの人々は結婚相手探しに難儀しているのだという。Sさんには食事もご馳走になった。名前は忘れたが、カレー粉をまぶして、豚肉、ゆで卵、スパイスの入ったヌードルで、油をまったく使っておらず、恐らくミャンマーで食べたものの中では一番美味しかった。油を使わなければ、ミャンマー料理ってこんなに美味しいのか! と感動。買い物に行くSさんたちとスーレーパヤーまで一緒に歩いてお別れ。ホテルに帰って爆睡。

3月8日(水)

昼の12時、以前よりメールをくださっているNさんに会いにCホテルへ行く。ホテルの前で煙草を吸って待っていると、人込みの中からNさんが現れ、「ハマモトさんですか?」と声をかけてきた。ちょっと気難しい人を想像していたところ、爽やかなイケメンが現れたのでびっくり。今回はネットで知り合ったミャンマー人の友だちに会うために来緬し、そのついでに私と顔を合わせることになったのだ(が、結局、女友達とは会えなかったようだ)。ベトナム料理店で歓談。話の内容はプライバシーに関わるので言えないが、こういう人が来てくれたらいいな、と切に思った。35歳を超えた日本人が結婚する確率が男女ともに3%ほどらしいから、それでも結婚したいというのなら、もう外国から連れてくるしかないと思う。幸いにも(?)、男性がだらしないおかげで(失礼。でも事実)、ASEANには妙齢の独身女性が溢れている。もちろん文化や言葉の壁を超えるのには骨が折れるが、日本人男性と結婚しているミャンマー人女性何人かに会って話を伺ったところ、時には喧嘩しながらも、なんとか上手くやっているようだ。それは日本人同士の夫婦となんら変わらない。夕方3時、タクシーに乗って、ミンガラドンのMさんの家へ。私の会社に登録したい女性がいるということで、その母親と会ったが、写真を見せてもらったところ、恐ろしく幼い。年齢を聞くと16歳ということで、即刻お断りする。その後は、空港に行く時間までダラダラ。iPodで美空ひばりの「川の流れのように」を聴いていると、泣けてきた。思い通りに女性を集めることはできなかったけれど、ま、全力を尽くした結果だから仕方ない。

第四回ミャンマー視察(2017年7月)(1)

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第三回ミャンマー視察(2017年2~3月)(3)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第三回ミャンマー視察(2017年2~3月)(2)

2月23日(木)

朝、Kさんと一緒にカフェへ朝食を取りに。Kさんの旅行話と私の仕事の話で盛り上がる。Kさんにミャンマー人女性の何人か見せると、2月13日に会ったSさんの写真で思わず彼の目が留まる。「優しそうな子だね」うん、やはり彼女は可愛いだろう。後で聞いたのだが、彼女は5人姉妹の末っ子で、姉妹全員独身なのだそうだ。これは国家的損失ではないだろうか? Kさんは「ミャンマー人女性の未婚率が高すぎる」の内容にも大変感銘を受けていた。マンダレーに行く目的は二人の女性に会うためだったが、一人は直前にヤンゴンにいることが判明。もう一人は途中で連絡が途切れ、悶々とした気持ちを抱えたまま、アング・ミンガラー・バスターミナルへ向かう。ダウンタウンからタクシーで2時間もかかった。バスターミナルは各地へ向かうバスで大賑わい。腹が空いていたが、下痢になるといけないので、ポカリスエットで我慢。が、やって来たバスは、ン十年前のそれと違ってドイツ製らしいデラックスバスで、車内は肌寒いくらいにエアコンが効いていた。高速も日本のそれとさして変わらず、車の走りはスムーズで快適。途中一度サービスエリアに寄っただけで、まっすぐマンダレーに向かい、朝の6時頃にマンダレーのバスターミナルに着いた。マンダレーの宿は地球の歩き方にも乗っているRoyal Guest House。実習生として日本に渡る予定だという日本語が流暢な青年が迎えてくれた。工場で働いて、毎月7万円くらい実家に仕送りするつもりなのだという。ホテルの部屋は清潔で、中にトイレもホットシャワーもあって、朝食もついていて、これで14ドルとはお得だ。後でミャンマー人の友達に教えたら、みんな驚いていた。床に就いて爆睡。

このSさんは35歳を超えてしまいましたが、いまだに独身。金持ちの家の女性は独身ばかりです。

2月24日(金)

昼頃起き出してホテルの近くを散歩。マンダレーは日本の京都にあたる古都で、旧王宮とマンダレーヒルを中心に市街地が広がっている。バイクの数が多く、歩いていると、バイタクの運転手にうざいくらいに声をかけられるのは、ベトナムに似ている……が、車の流れは比較的スムーズ。人口90万人に相応しい賑わいを見せている。日曜日に会う予定の女友達との待ち合わせ場所を確認するために、王宮の周囲をウロウロ。この女性、将来弁護士になる予定のどこぞの大学の法学部生なのだが、なかなか辛辣で骨のある人物……が、直前になって私に会うのを躊躇い、ぐだぐだ言ってきたのをなんとか宥めすかして、アポを取りつけたのだ。Messengerで彼女と連絡を取りながら確認していたのだが、案の定間違えていて、事前に確認してよかった。夕食を食べた後、ホテルに帰って寝る。

2月25日(土)

昼の12時頃、一年くらい前からMessengerでやりとりしてすっかり仲良くなったKさんとその女友達がホテルにやって来る。Kさんは大変熱心に日本語を勉強している30歳の女性で、将来は日本語教師を目指しているのだそうだ(既にBasic classの生徒は教えている)。この日はマンダレーヒルと周辺のパゴダを案内してもらった。マンダレーヒルはひたすら階段を上っていく……が、途中、彼女と一緒に写真を撮ろうとすると、彼女は「私は自分の写真を撮るのが嫌いですから」と言って頑なに拒否。彼女はどうやら自分の容姿に根深いコンプレックスを抱いているようなのだ。Facebookのアカウントにも自分の写真を載せていない。たしかに彼女の容姿は十人並みより少し低いくらいだが、この容姿でそんなことを言っていては、世の3分の1くらいの女性は自殺しなければならないだろう。現に彼女が一時期勤めていた日本企業の日本人社長は「自分の知りあいにそっくりだ」と言って、彼女のことを大変可愛がっていたそうだ。彼女が連れてきた女友達は農家の親戚の女の子で、農家の仕事が嫌でマンダレーに出てきたそうだ。最近、観光客が増えたおかげで、ロンジーなどのミャンマーの伝統服を作る仕事が増えていて、その仕事に就きたいのだという。やれやれ、農家の仕事が嫌なのだミャンマーも一緒か。月曜日にまた会う約束をして一旦別れる。

2月26日(日)

昼の1時頃、Facebookで出会ったHさんとの待ち合わせ場所である王宮の東門へ。Hさんは女友達のMさんを連れてきていた。二人は同じ日本語学校に通っていて、日本語のツアーガイドを目指している。二人とも日本語が達者だが、特にHさんは若干23歳なのにかなり上手。ミャンマーでも人気の韓流ドラマの影響を受けて、小説を書くのを趣味としており、自分のFacebookページを持っている(ミャンマー語で書いているので私はまったく読めません)。Mさんはマンダレー外国語大学の日本語学科で日本語を学んだのだが、しばらく日本語から離れていて学び直している最中だそうである。36歳、独身。NNS先生によく似た顔で、先生の写真を見せると、「似てますね。ミャンマー人によくある顔なんです』と恥ずかしそうに答えた。三人で王宮と周辺のパゴダを回った後、カフェに入る。私はカプチーノ、二人はアイスクリーム。そして私はみんなで食べるためにストロベリーパイを頼んだ。総額18000kyat、日本円にして1500円くらいで大変お得だが、このレベルのミャンマー人の給料が2~3万円くらいであることを考えると、恐ろしく高いと思う。

二人と別れた後、もう一人の例の法学部生と王宮の南門前で落ち合う。女友達二人と来ていた。自己申告どおり、かなり気難しい性格で、私とプレゼントの交換に応じたものの、頑としてデート(と言っても友達を交えての集団デート)に応じようとしない。40分くらいやりあっていたが、結局、埒が明かず、自分よりも20歳も年下の女性を困らせるのもなんだったので、辞去することにした。が、ホテルへ向かう道すがら、突然、後ろから声をかけられ、振り返ると、バイクを運転する彼女がいた。そして私にヘルメットを渡すと、後ろに乗れという仕草。結局、彼女のバイクに乗ってホテルへ帰った。まるで香港映画のワンシーン……と若い頃ならそんな感慨にふけっただろうが、40歳を超えるとバイクの二人乗りは若干怖かった。ホテルに戻ってしばらく休んだ後、彼女からMessengerにメッセージが入って、今日は本当にすまなかった、お詫びにロンジーを贈る、あなたが今日着ていたロンジーは本当にひどいものだから、と言ってきた。ホテルに持ってくるが、私と会いたくないので、フロントに置いてくるのだという。やれやれ。ちなみにこの日彼女がくれたプレゼントは額縁に入ったこんな絵だった。

法学部生の彼女はその後弁護士資格を取って今はNGOで働いています……それなのに実習生として日本に来ることを考えているという。

2月27日(月)

連日の観光で疲労困憊して、昼過ぎまで爆睡。夕方5時、Kさんが友達二人を引き連れてバイクでやって来る。また二人乗りかと暗い気持ちになるが、もちろん、表情には出さない。四人でパゴダを二つ回った後、Kさんの家へ行く。バイクをかなり飛ばし、怖かった。彼女の家は都心から離れた所謂住宅街の一角にあったが、家の前の道をビュンビュンバイクが行きかっていて、かなり騒々しかった。家に着いてご家族に挨拶。Kさんのお姉さん(写真左)は物凄く背が高くて、髪が長くて、綺麗で、思わず見惚れてしまった。33歳で公務員で独身。一生独身のままでいいと言っているのだという。ミャンマーは頭が良くて真面目で綺麗な女性に限って、こんな人ばかりで本当に困る。家ではお姉さんが作った夕食を御馳走になる。写真を見れば分かるとおり、美味しそうで、実際、美味しかった(が、やはり油が多すぎたのか、胃に持病のある私は翌朝胃痛に悩まされた)。夕食を食べた後、しばらくKさんと雑談。キャリアに迷っている様子だったが、私は他の人にも言っているように、N3を取ってミャンマー国内の日本企業に就職するのが一番と言っておいた。ただマンダレーには日本企業があまりないのが悩みの種。就職のためにヤンゴンにでることには父親が反対しているのだという。まったくこの国は父親が子供のやることになんでも口を出して、反対する。そして多くの場合、そこにはなんの合理的理由もない。家族の絆が強く、支えあって生きることはいいことだと思うが、その分、しがらみも強いのだ。その後、Kさんにホテルまで送ってもらって別れた。

年を食ったせいかバイクの二人乗りはもう怖いですね。運動神経が鈍くなっているのがわかるので、こけたら助かる自信がありません。

2月28日(火)

朝11時頃に起きてパッキング……が、ボストンバッグのファスナーが壊れて閉まらない。部屋を出た廊下でカバンを前に右往左往していると、掃除をしていたホテルの女の子たちがわらわら集まってきて、カバンを囲んで直し始めた。その様子を煙草を吹かしながらぼっーと眺めていると、やがて一人の女の子が「OK」と言って、ファスナーを締めてくれた。感謝しきり。この日も会うはずだったKさんが仕事が忙しくて行けないということで、電話でサヨナラの挨拶をする。バスの時間が来るまでホテルのロビーで休憩。仕事はおじゃんになったが、友達が色々してくれたおかげで、マンダレーでは本当にいい思い出ができた。死ぬまでにあと何回こんな思い出ができるだろうか? と感慨にふける。やがて時間が来ると、タクシーに乗ってバスターミナルへ。行きとまったく同じプロセスでヤンゴンに帰る。ヤンゴンに着いたのは翌朝の6時だった。

3月1日(水)

朝11時にビジネスパートナーのSがホテルに迎えに来る。電話しても私が出なかったので、ホテルまでやってきたとのこと。疲労困憊して爆睡していたようだ。二人でわざわざタチレクから呼び寄せた女性に会いにスーレープラザへ行く。女性はボストンバックを引きずって現れた。せっかく田舎からヤンゴンに来たのだから、数日ホテルに滞在させて、あちこち連れていってやろうと思ったのだ。KFCで面談。行ったことがなかろうと思って連れて行ったのだが、女性はチキンフライにはあまり手をつけなかった(笑)。これまでのヤンゴン在住の中産階級の女性とは毛色が違うので、色々尋ねたが、高校を卒業した後、20歳の時に一度結婚して女児をもうけたものの、男性が酒におぼれるようになり、やがて離婚。その後は写真店と造花店を経営しながら、女手一つで子供を育ててきたとのこと。が、家庭の事情により店を締めざるを得なくなり、新しい人生を求めて、この度、私の会社にエントリーしたとのことだった。所謂、貧困層の女性ではない。またミャンマーであまたの芸能人を輩出しているシャン族の女性だけあって、肌の色が白く、胸とお尻が大きくて女性の魅力に溢れていた。ミャンマー語、タイ語、シャン語の三つの言葉を話せるのだという。面談が終わった後、女性を私の泊まっているホテルに連れていく……が、なんと私のホテルはミャンマー人不可。仕方がないので、隣のホテルに連れていったが、料金は25ドルと私のホテルの二倍以上もして、少し凹んだ。夕ご飯を一緒に食べる約束をして、一旦、女性と別れる。夕方6時半、Akikoに会いにJunction Centerへ。色々あったが、結局、私の会社に登録することにしたのだという。面談はつつがなく終了。その後、ホテルに取って返して、シャンガールと夕食を食べに川沿いの屋台街へ。シャンガールはタイ料理を食べたがっていたが、そんなものあるはずもなく、結局、二人でチャーハンを食べた。食後、彼女をホテルに送って就寝。

彼女が元MY009さんです。

第三回ミャンマー視察(2017年2~3月)(4)

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第三回ミャンマー視察(2017年2~3月)(2)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第三回ミャンマー視察(2017年2~3月)(1)

2月16日(木)

朝11時にスーレーに行って、ビジネスパートナーの男性と会う。Messengerで話していたときの胡散臭い感じはあまりなく、精悍な感じの男性だった。将来、本格的なコーヒー店を開きたいと言っていたので、お土産のコーヒードリップを渡すと、嬉しそうに「ありがとう」と言った。ミャンマー人にしては珍しくこまめに連絡を寄こす男性で、とても助かる。まあ、金欲しさなんだろうが。 夜7時、タコマのシティマートへ行って、エンジニアの男性と会う。私はミャンマー人向けの会社のFacebookページをコンサルト会社で登録しているのだが、そのせいか、時々、変な依頼が舞い込む。これもその一つで、彼は日本の大学に留学中、ミャンマー人の大学教授に金をだましとられ、彼の法的に裁きたいから力を貸してくれ、と頼んできたのだ。二人して中華料理屋に入って、色々相談。彼は父親も大学教授のインテリ一家だそうだが、ちょっと人が良すぎる感じがした。4月末に日本の警察に訴え出るために来日するそうだが、果たして上手くいくだろうか? それでも「できるかぎりの手助けをする」と言って、別れた。

ミャンマーでは詐欺にあっても警察も裁判所も何もしてくれないので、ほとんど泣き寝入りです。

2月17日(金)

昼間はホテルにこもって、ブログを書くなどして過ごす。夕方6時、ある女性と会うためにJunction Centerへ赴く。この女性、9月頃から時々、Messengerで話をしていて、彼氏がいるのでリクルートしたわけではないのだが、私の仕事に興味があるというので会うことにしたのだ。かつて両親が日本で生活していて、日本で生まれたらしく、そこそこ日本語を話す。ちなみに彼女のFacebookネームのアキコは父親が好きだった歌手の小林明子から。が、約束の時間の前に電話が入って、仕事が忙しいので30分遅れると連絡してきた。が、その30分が経っても姿を見せない。この日は他に約束もなかったので、喫茶店でカプチーノを飲みながら待っていたのだが、一時間経っても姿を現さず、電話も繋がらない……が、やがて「お金を盗まれた。泣きそう……」というシュートメールが入り、電話がかかってきて、「明日、家賃を払わなければならないんです。分かりますか? や・ち・ん……」と泣きついてきた。その後も色々話をしていたのだが、雑音がひどくて聞き取れず、やがて電話が切れた。さすがに疲れたのでホテルに帰る。彼女はその後待ち合わせ場所に現れたらしいが、どうも話がおかしい。私から家賃に当たる金を借りて、せしめようと考えたのではないかという疑念が脳裏をよぎったが、金が欲しければ私と一緒に仕事をすればいいのに……と悶々と考えているうちに、疲れ果てて寝ていた。

結局、彼女は金欲しさに私に会っただけでした。やり口が単純なのですぐにばれる。今は怪しい健康食品を売り歩いています。おつかれさまです。

2月18日(土)

朝11時にスーレーパヤーへ。今度の女性はお姉さんと一緒に来ていた。英語堪能で利発そうで、お腹が大きかった。これに対して妹のほうは優しく大人しそうな女性で、面談もほとんどお姉さん任せだった。

午後3時、もう一人の女性と会う。31歳で、Messengerで、「私は誰とも結婚する気がない」というのを口説きまくってなんとか面談にこぎつけた。髪も胴も手足も長く、思慮深そうで、笑顔が綺麗な典型的なミャンマー美人である。「12年前のミャンマーで見たのはこれだよ」とほくそ笑みながらいざ面談に臨むが、彼女はいますぐ登録したくない、考えさせてくれ、と言ってきた。何度も繰り返しているが、ミャンマー人女性は未婚率が高く、データはないのだが、彼女のような高学歴の女性ほど未婚率が高いのは想像に難くない。が、かといって、彼女たちが「日本人と結婚できるなら」とほいほいついてくるわけでは全然なく、寧ろ逆。経済的に自立しているので独身でもなんら生活に困らず(ミャンマーは男性が働かないor給料が低いので、共働きが当たり前の社会であり、女性も男性と同じくらい、もしくはそれ以上にキャリア志向である)、男性があまりにも頼りないので強烈な男性不信に陥っていて一生結婚しないと決めつけており、marriage agencyを通じて結婚相手を探すことにも抵抗があうことから、このレベルの女性を確保するのは、かなり難しいのだ。恐らく短期的にはこの状況は変わらないだろう。ということで、再会を約束して一旦別れる。別れ際、彼女はお土産のペンダントをくれた。失望が深く、どっと疲れが出る。

彼女は今は日本にいます。いまだに独身です。さすがにリクルートはあきらめた。

2月19日(日)

朝11時、ダマレキタ僧院へ。先週道端で会ったFacebook友達の女の子がカレーを持って現れることになっていたのだが、来ておらず、メッセージを送ると、会社の行事で来れなくなったということだった。授業が始まる前、例の破戒僧からこんな話を聞いた。先日、とある日本人が僧院に見学に来て、一瞥、「なんでこの僧院は女の子ばかりなんですか?」と尋ねたのだという。破戒僧が「なんでなんだ?」と私に尋ねてきたが、正直に答えるわけにもいかず、ある女の子に話を振ると、その子は少しはにかみながら、「男の子はLazyだからです……」と答えた。破戒僧はショックを受けたようで、「OMG」と叫んで飛んでいった(微苦笑)。

授業も半ば過ぎた頃、N先生が現れる。すっかりお腹が大きくなっていた。先生を囲んでN4に合格してN3の勉強を始めたばかりの生徒4人と一緒にしばし談笑。なんでもここに通ってくれている駐在員の奥様二人が、12月のJLPT直前に模試のようなことまでしてくれて、おかげで僧院始まって以来の大量合格者を生み出したのだという。私は日本に行きたがっている彼らに、留学生や実習生で日本に来ても、周囲は外国人ばかりだし、アルバイトや仕事に追われてあまり遊べず、日本語も思ったほど上手にならないとアドバイスしておいた。現状ではN3を取ってミャンマーに大量進出している日本企業に就職したほうが、彼らのためだろうと私は思うのだが、どうだろう? 事業に関しては、N先生から「誰も信用しちゃいけない」というアドバイスをいただいた。

授業の途中で辞去して、先週会う約束していたHさんの弟がやって来て、彼のタクシーで女性の元に向かう……はずだったのだが、どうも様子が可笑しい。タクシーを止めてViperでHさんに電話をして事情を聞くと、なんと彼が女性を紹介してくれるのではなくて、彼が日本人女性と結婚したいということだった。なんてことだ。結局、スーレーまで送ってもらって、二人してカフェでケーキとカプチーノを頂く。彼はとても日本にいきたがっているようだが、日本語も英語もまったく理解しないこの状況では難しいだろう。ナイスガイではあるのだが。物凄い徒労感を抱えてホテルに帰る。

2月20日(月)

12時頃、とある人の紹介で会っておけと言われた男性がホテルまで迎えにくる。とても穏やかそうないい人だったが、日本語も英語もあまり話せないので、型通りの話に終始した。夜7時、金曜日に会いそびれたAkikoさんと会う。1~5歳まで名古屋にいたというだけあって、特に日本語を学習したわけでもないのに、そこそこ日本語を話す。4月に名古屋の日本語学校に2年間留学するそうだが、なんとなく、心の底を見せないような、そんな感じがした。「誰にお金を誰に盗まれたの?」と聞いても、「お父さんです」「冗談です」と言うだけで、釈然としない。が、marriage agencyには興味あるらしく、資料をひととおりもらって、「お姉さんや友達に話す」と言った。うーん、でもやっぱり怪しいな(微苦笑)。

2月21日(火)

溜まった疲れがどっと出て、午前中は爆睡。午後はブログを書いたり、メールを書いたり。夕方になって、2月11日に会員になってくれたBさんとサクラタワーの前で待ち合わせをして、夕食を食べに行く。Bさんは私のことを気に入っているらしく、ちょくちょく電話やメッセージをくれる。この日はヤンゴン川沿いに場所を移した屋台街で、二人でBBQを食べ、ビールを飲んだ。彼女の母親は娘が酒を飲んでいるのを知っているらしく、あまりいい顔をしないのだという。彼女は私の仕事にいたく肯定的で、「早く私の結婚相手を探してください」と急かしてきた。日本語を上手くなりたいから、自分に日本語を教えてくれる人がいいのだという。そんなにハードルが低くていいのか? とも思うが、外国人に日本語を教えるのは結構骨が折れるので、そうでもないかもと思い直す。食事をした帰り、路上の果物売りからドラゴンフルーツを買って、ホテルで食す。初めて食べたが、なんとも微妙な味。もう買うことはないかも、ね。

2月22日(水)

ホテルのカウンターで明日のマンダレー行きのバスのチケットを購入。十ン年前のおんぼろバスを思い出して、あれにもう一回乗るのは勘弁だと思って、飛行機で行こうと思っていたのだが、クレジットカードの手続きが間に合わず、断念したのだ。昼頃、ホテルのロビーに顔を出すと、見覚えのある顔が……と思ったら昨年ここで会った善通寺市に住む年金パッカーのKさんだった。なんでも今回は泰緬鉄道の足跡を辿る旅をしていてヤンゴンに辿り着いたそうで、奇跡的な邂逅に二人して感激。話が弾んだ。夕方5時、ミンガラドンのMさんの家へ。この夜はBBQをしながら、Mさんの友達の旅行代理店経営者と話をするはずだったのだが、肝心のその人物が用事で来れず、単なるBBQになった。姪っ子とはMessengerでよく話をするのだが、直接会うと、あまり話をしてくれず、ずっとFacebookばかりしている。勉強もあまりしないようで、遊ぶことばかり考えているのだという。宴もたけなわになると、みんなミャンマー語で話し始めたので、私はMさんと二人、日本語で話をしていた。私はミャンマーと合わない」とMさん。そりゃ女だてらに酒も煙草も嗜んでいるようじゃ、合わないだろうね。11時頃、ホテルに帰って寝る。

第三回ミャンマー視察(2017年2~3月)(3)

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第三回ミャンマー視察(2017年2~3月)(1)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第二回ミャンマー視察(2016年5~6月)(4)

2月9日(木)

成田からヤンゴンへ。機内でワインを飲んで熟睡していたので、あっという間に着いた感。ヤンゴン空港では、今回、とある事情で日本にお連れすることになったMさん(50代の女性。かつて日本人男性と結婚していたことがあり、日本語ペラペラ)とその姪と女友達が迎えてくれた。姪御さんとはMessengerで何回か話したことがあるが、モデルのように可愛いらしく、彼女のFacebookアカウントには鼻の下を伸ばした1000人以上のフォロワーがいる。ホテルに行く前にMさんのご自宅に寄って、焼きそばと八宝菜とチキンの夕食を御馳走になる。ありがたいのだが、量も油も多すぎる(苦笑)。ミャンマーは料理を残してもいい食文化なのだが、これにもいつまで経っても慣れない。

Mさんの家は旧居と新居の両方あるのだが、85歳になる元医者のMさんの父親が頑として旧居から離れようとしないので、新居は空き家のままで、こうして友達が来た時にたまに使うだけなのだとか。水回りもよく、エアコン付きで、趣味の音楽に興じるためにギター、ベース、ドラムセットが備わり、防音壁を施したスタジオまであるのに、もったいないことよ……が、やることが、なんとなく日本の田舎の人に似ている。また彼女の家には、長机を備えた小屋みたいなのだがあって、これはなんだ? と尋ねると、NLD(アウンサンスーチーの政党)の支部なのだとか。彼女はNLDの活動家で政権を取るまでは熱心に政治活動をしていたそうだ。 「これからはデモクラシーの時代だからね!」とMさんは満面の笑み。

食事を終えた後、近所の姪っ子の家へ。お母さんが自宅で英語の塾を開いていて、7~8歳のあどけない子供たちが勉強していた。ミャンマーの教育だから、ひたすら暗唱、暗唱、暗唱の連続である。二階の部屋にある仏壇みたいなものを見せてもらったが、その中に鎌倉大仏があった。本当にミャンマーでの鎌倉大仏の人気は絶大である。娯楽の少ないミャンマーでは、こうして自分の家に客を招待して、食事を振る舞い、話をするのが重要な交遊らしい。 その後、ホテルへ。常宿のHホテルは顔なじみのマネージャーの姿もなく、閑散としていた。メッセンジャーに入っていた沢山のメッセージに返事を書く。Mさんの姪御さんとはかなり長く話した……が、もはや20歳の女の子と話しても話題が続かず、疲れるだけ(微苦笑)。この日はそれだけで就寝。

この姪御さんは本当に可愛いのですが、なぜかいまいちな男とばかり付き合って周囲をやきもきさせています。何度も言っているようにミャンマー人男性は「ヒモ体質の浮気性」が多く、恋愛や結婚の対象となる男性が少ないため、女性が男性の欠点に目をつぶる傾向が強いのです。

2月10日(金)

朝起きて朝食を取りにホテルの7階か8階にある食堂へ……が、そこにはテーブルと椅子が並べてあるだけで、何もない。厨房のドンである英語を理解しないラスボスのように太ったおばさんに身振り手振りで尋ねると、「ない」という返事。このホテルはビッフェ式の朝食でつとに有名であったのになぜ止めてしまったのだろう? シーズンオフなので客が少ないのは仕方がないが、相変わらずマネージャーやサブマネージャーの姿もなく、閑散としている。床が綺麗になって、Wifiの性能が向上していたが、なんとなく寂れた感じがする。

その辺のコンビニでパンと豆乳の簡単な朝食を取った後、名刺を作り直しにCity Hallの近くにある印刷所へ。相変わらずあの厳しそーなお姉さんが、会社を切り盛りしており、テキパキと仕事をこなしてくれた。私のことを覚えていたようで、去り際に「さよなら」と日本語で挨拶してくれた。その後、コンピュータースクールの隣にあるパソコン店へ行き、携帯にトップアップカード(プリペイドカード)をチャージしてもらう……が、なぜか電話が繋がらない。MPTのオフィスに行ってみると、どうやら半年以上使っていなかったSIMカードが使えなくなったらしく、再度使えるようになるまでに一週間かかるのだという。仕方なく新しいSIMカードを購入し、インターネットも使えるようにした。ホテルに帰った後、電話番号が変わったことをMessengerで知人・友人に連絡。

ホテルで一休みした後、女性との待ち合わせ場所であるスーレー・パヤーへ……が、待ち合わせの時間になっても彼女は現れず、日本で通訳役で待機している彼女の叔母にMessengerで連絡すると、なんでも私に会うのが恥ずかしくなって、面接を止めにしてしまったのだという。書類に必要事項を書くから送ってくれと言っているらしいのだが、会ったこともない女性を他人に紹介するわけにはいかない。が、その叔母のもう一人の姪が来るというので待っていると、その彼女から電話が入って、既にスーレーに来ているとのこと。がしかし、英語も日本語も理解しない彼女と話してもチンプンカンプンで、なかなか顔を合わせることができない。後で気づいたのだが、このスーレー・パヤーは待ち合わせの場所としては、かなり不向きな場所だった。結局、スーレーをぐるぐる回っているうちに、なんとか彼女と邂逅。お腹が空いているというので、二人してKFCに行ったが、彼女がオーダーしたセットが四人分で往生。事前に写真も見てなかったので、まったくの初対面だったが、彼女は小柄で骨太で芯のしっかりした感じのとても可愛らしかった。「自分が求めていた女性はこれだよと」と、これまでの苦労が報われた感。が、彼女との間ではコミュニケーションがまったく成り立たず、あまりの言葉の通じなさに二人の間に微妙で奇妙な緊張感が走る。結局、ここでもMessengerで叔母を呼び出して、なんとか面談を終了させた。彼女をバス停まで見送った後、ホテルに帰ってMessengerで友人・知人何人かと話して、就寝。

2月11日(土)

朝11時に女性との待ち合わせ場所であるJunction Centerへ。10分ほど遅れて、ドラえもんのTシャツに短パンというラフな格好をした彼女が現れる。ミャンマーというか極めて平均的なASEAN女性という感じの人で、脚が白くて長く、とても明るい女性だった。建物の4階にあるカフェに入り、電子辞書の力を借りながら面談。高卒だったが、趣味は語学というだけあってかなり英語が流暢で、仕送りは必要か? という質問に「自分の稼いだ金を送りたい」と答えたのが印象的だった。が、最後に写真を一枚撮らせてくれと頼むと、ドラえもんのTシャツ姿は嫌だと言われ、断られた(微苦笑)。後で送ってくれるのだという。

ホテルに帰って、フロントにいる男の子たちにマネージャーはどこにいるのか? と尋ねると、なんと彼は半年前に引退して、現在はヤンゴンのどこかで余生を送っているのだという。そしてサブマネージャー(彼は中国人だそうだ)は現在はロサンゼルスにいるのだとか。半年以上留守にしている間に、長らくバックパッカーに愛されてきたこのホテルの歴史が終わっていた。そうなると、日本語どころかまともに英語を話せるスタッフもおらず、名物だったビッフェ式朝食もなく、なぜか水回りが悪くなり、なによりもマネージャーの醸し出すアットホームなホスピタリティもないこのホテルの将来はジリ貧ではないか。自分としてもここにいる理由はもうないし、他のホテルを開拓ししようか……という思いが一瞬脳裏をよぎったが、それでもWifiの状態がいいので、やはりここに落ち着くことにした。

ホテルで休憩した後、夕方6時にもう一人の女性との待ち合わせ場所であるスーレーへ。ミャンマーに来る少し前から時々Messengerで話していたのだが、N3取得者で日本語は流暢、某日本企業でプログラマーとして働いているらしい……が、この日会社のメディカルチェックがっあったらしく、2時間近く遅れて、しかもスーレーではなくサクラタワーで落ち合うことになった。現れた彼女は想像していた以上にかなり大柄で、とても可愛らしい人だった。近くのシャンカウソエの店に入って、私だけカウソエを食べながら面談。なんでも父親は医者で、水泳もすれば(ミャンマーでは女性が公衆の面前で肌をさらすのはご法度)、酒も少し嗜む(これもご法度)「開明的」な女性のようだ。それにしてもよく喋る。好きなタイプの男性は? という質問に「忍耐強い人」と答えたのが、印象的だった。カウソエを食べた後、サクラタワーの最上階にあるレストランに入って、彼女はケーキと紅茶、私はビールを飲んで歓談。なぜか今度一緒にプールに行くことになった(笑)。仕事のことを忘れて楽しいひと時だった。いや、忘れてはいけないのだが。

結局、ホワイトハウスホテルはこの年の暮れに閉鎖され、今はオーナーも変わって同じ名前の新しいホテルに生まれ変わっている。きれいになったが、私にはお行儀が良すぎるので他のホテルに移った。でも他人におすすめできるホテルです。

2月12日(日)

朝11時にダマレキタ僧院へ。バスを降りて僧院までの道を歩いている途中、誰かが近づいてきた。ロンジー姿だったからよく分からなかったが、よく見ると、僧院で日本語を勉強していた青年僧だった。「おひさしぶりです」と流暢な日本語で挨拶してきて、どうやら私が留守の間に随分日本語が上達したらしく、淡い感動を覚える(彼は非常に勉強熱心だった)。隣に小柄な可愛い女の子がいて、「Nice to meet you」と挨拶してきた。聞けばMessengerでよく話していたMさんだという。彼女は後で僧院にお土産のシャンヌードルとロンジーを届けてくれた。

僧院に着くと僧院の中で時々煙草を吸っている破戒僧の青年僧に出迎えられる。日本に行きたいらしく、滞在費やら航空券代やらを聞かれたので、正直に教えると、ハッーと深いため息。僧院の中に入ると、僧院長が暖かく迎えてくれ、昼食の焼きそばを御馳走になった。授業の時間が近づくと、続々と見覚えのある生徒たちがやってきて、流暢な日本語で挨拶される。みんな12月のJLPTでN4かN5に合格したということで、大変めでたい……が、中には姿が見えなくなっている子も何人かいて、特に出来が悪いのに頑張っていたあの子とやこの子の顔を思い出すと切ない気持ちになる。別に日本語できなくてもいいから、幸せになっておくれ。

授業の始まりに日本から持ってきたお土産のお菓子を配ったが、結構、あっさりした反応しか返ってこなかった(微苦笑)。ま、寄付とかに慣れているお国柄だから仕方ないか。授業の途中、見知らぬ男性から挨拶される。カタコトの英語で「妹が名古屋に住んでいる」というのだが、いまいちなんのことか分からない。日本語教師のWに通訳してもらうが、それでも意味が分からない……が、授業が終わった後、もう一人の女性の日本語教師に通訳をしてもらって、彼がHさんの弟であることが判明。来週の日曜日またダマレキタで会う約束をする。

その弟にスーレーまで送ってもらって、女性を待つ。彼女は友達のお姉さんである。が、約束の時間に一緒にやってくる予定の女性の妹から電話がかかってきて、既にスーレーに着いているらしいのだが、どこにいるのか分からない。英語も日本語もできない彼女と意思疎通ができず、またスーレーの周囲をぐるぐる回る。埒が明かないので、3ドル払ってスーレーの中に入り、それらしい人物を探したが見つからない。そうしていると、英語を話すミャンマー人青年が話しかけられて、彼に電話で彼女たちを呼び出してもらった。彼女たちを待っている間、青年はお祈りの仕方を色々教えてくれたが、最後にチップを要求され、1000チャット払った。額の少なさに青年も微苦笑。あまりミャンマー人はこういうことをやらないのだが、インド人だろうか? ようやく顔を合わせた二人と近くのカフェへ。姉妹で色違いのお揃いのロンジーを着ていて、とても綺麗だった。妹も来年日本に語学留学するらしいのだが、恐らく親戚に借金をしてとのこととはいえ、(小金を持っているそんな親戚がいるということだから)、姉妹二人も日本に送り出すとは、結構裕福な家なのかもかもしれない。二人とも英語も日本語もできないので、Messengerで日本語ができるミャンマー人の友達を呼び出して通訳してもらう……詳しいことは〈きぎょうひみつ〉なので、ここには書けないが、なかなかヘビーな一時間だった。彼女の写真を撮るのを忘れたので、後で送ってもらうことにする。ヘトヘトになってホテルに帰り就寝。

2月13日(月)

朝11時にスーレーへ。この日は2月10日にキャンセルした女性と会うのだ。叔母の説得でなんとか面談にこぎつけた。既に2月10日の女性から情報を得ていたのか、比較的スムーズに会える。家族総出で来ていた。彼女は先に貰った写真のボーイッシュな印象と違って、とても落ち着いた感じの人だった。親戚の男性が運転する車でシェダゴンパゴダの近くまで行ってカフェに入り、面談。異常にシャイというのは本当らしく、彼女は私とはほとんど目を合わさず、契約書も親戚の男性が代わりに書いた。が、写真を見れば分かるとおり、芯はしっかりした女性である。いい人と契約できた。面談が終わった後、似合わない眼鏡を外させて写真を一枚撮る。

夕方5時にはこちらはプライベートでFacebook友達の女性に会いに中央駅近くのルビーマートへ。途中、東京ダジャン祭りのボランティアで一緒だったH氏とH女史と邂逅。擦れ違った時、キャップと短パン姿の金周りのよさそうな男がいる、恐らくヤンゴンに跋扈している投資詐欺師か何かだろうと思ったのだが、まさかお二人だとは。いや、びっくりした。ルビーマートで顔を合わせた彼女は写真のイメージと違って、とても小柄で、こちらは写真のイメージと同じく、八重歯がとても可愛らしかった。日本人みたいな化粧をしているなあと思っていたのだが、案の定、彼女はミャンマーの派手な化粧が嫌いで、ヤンゴンで日本人が開いている美容学校に年間200万チャットの学費を払って通い、メーキャップを学んだということである。4月から日本の日本語学校に留学して2年間日本語を学んだ後、ファッション関係の専門学校で学び、将来はファッション関係の仕事をしたいのだとか。私はミャンマー人女性の洋服のセンスを直してくださいと彼女に頼んでおいた。

彼女の彼氏は新聞記者なのだが、同僚が殺されているらしい。ミャンマーではジャーナリストも命がけだ。

2月14日(火)

連日の疲労が溜まっていたのか午前中は爆睡。夜の7時にFacebook友達のMBL君に会いにレーダンセンターへ行く。彼はマノーラマ僧院で出会い、現在、癌で闘病中のZ君の友達。本当はネピードーの病院に入院していたZ君のところに行って、お土産のマンガを渡すつもりだったのだが、Z君は既に退院してネピードー近郊の村で療養中ということで、MBL君に託すことにしたのだ。待ち合わせ場所のレーダンセンターに現れたMBL君は、まだ日本語を勉強して1年半だというのにかなり流暢に日本語を話す。ミャンマー人の出来のいい子は、だいたい一年で少し話せるようになり、二年で日常会話に不足しない程度に話せるようになるから、驚きだ。二人して近くのビアホールに入って歓談。MLB君には最近彼女ができたらしく、写真を見せてもらったが、小柄な可愛い子だった。「好きです」と告白したら、キャッ―と悲鳴を上げて逃げ出されたのだという(微苦笑)。ミャンマー人の男女交際は、まずグループ交際から始まり(友達が応援団で駆けつけるそうだ)、徐々に二人きりのデートに移行していくのだとか。そしてもちろん、破局することもあるらしく、実際、Z君は先月彼女に振られている。(但し、男女の関係になった場合、女性の申し立てにより、二人の関係は法律婚とほとんど変わらない事実婚と見做され、男性が女性を妊娠させて結婚しないと懲役10年の刑に処せられる)。MLB君が注文してくれたウナギを作った料理がかなり美味く、酒も進んだ。やはり地元の人と地元の店で飲み食いするのが一番楽しい。大満足してホテルに帰る。

2月15日(水)

この日はMさんに連れられて、バゴー観光。(後述)

 

 

 

後述と言って何も書いていませんが、普通に観光を楽しみました。

第三回ミャンマー視察(2017年2~3月)(2)

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