第二回ミャンマー視察(2016年5~6月)(1)

旧ブログのエントリを加筆・修正したものです。青字は現在視点からの解説です。

第一回ミャンマー視察(2016年1~3月)(4)

5月11日(水)

藤が丘駅から中部国際空港へ。今回はベトナム航空だったが、終始、ひどく揺れて居心地悪かった。天候のせいなのか、それとも機体のせいなのか? 途中、トランジットで立ち寄ったハノイでじっくりベトナム人を観察。11年ぶりの生で見る現地のベトナム人だったが、中国の影響下にあるからか、やはり活力に満ちている。ミャンマーも教育水準の低い人間はそんな感じなのだけれど、なぜか高学歴の男性には優男が多い。女性はどうだろうか? 少なくとも外見はミャンマー人よりも外国人感が強いような気がするが、これは贔屓の引き倒しかもしれない。ヤンゴン空港に着いた瞬間、もわっとした空気に包まれる。宿は引き続きホワイトハウスホテル。ムスコが迎えてくれたが、通された部屋は窓も換気口もない密室で、仕方なく前回はホテルの経済的負担を少しでも軽くするために一度も電源を入れなかったクーラーを入れる。三菱電機の製品。荷物を置いた後、前回、バックパッカー夫婦に教えてもらったバーで黒ビールを二杯飲む。ほろ酔い気分で早々に就寝。

顔はミャンマー人のほうが日本人に近く、文化はベトナム人のほうが日本人に近いと今では思っています。

5月12日(木)

早朝に目が覚める。煙草が切れてたので、近くの雑貨屋に買いに行くが、ルビー一箱900チャット取られる。コンビニで買えば600チャットなのにこれはボリ過ぎではないか?(※後で知ったが、あくまでもこれは例外で、ヤンゴンでは煙草は雑貨屋で買ったほうが、コンビニやスーパーで買うよりも安い)。朝食を食べた後、連絡を寄こさなくなったKに電話をかけるが、何回かけても繋がらず「電源が入っていない」というアナウンスが流れるのみ。その後FBで知りあったマンダレーのTに電話をかけたが、こちらは繋がったから、ひょっとして着信拒否されているのではなかろうか? その後、USB式高速インターネットなるものを手に入れるために、近くのKMDコンピュータースクールを訪れるが、店員の説明が要領を得ず、一旦ホテルに戻ってパソコンを持って出直したところ、なんとか意思の疎通に成功し、目的のものをゲットする。今日はホテルのwifiの調子がよく、これに乗じて前回の視察の日記をまとめにかかる。が、その時、KのFBの友達に彼女の消息を尋ねることを思い立ち、メッセンジャーでメッセージを送ろうとしたのだが、その最中、なぜかFBのアカウントが一時的にロックされる。運営部の説明によると、誰かが私が偽名を使って利用していると通報したらしいが、そんなことしていないし、仮にしていても、FBで偽名を使っている人間は腐るほどいるのだから、通報するというのもおかしな話だ。一体誰の仕業だ? と訝りつつ、アカウントの復旧を試みるも、結局、断念。近くの中華街に夕食を食べにいって、注文した回鍋肉が出てくるのを待っている間、可愛い可愛いSに電話。メッセンジャーが使えなくなったことにかこつけて、マノーラマ僧院のエリンクラスの授業の予定を聞くことを口実に、ただ彼女と話がしたくて電話をしたのだ。「ちょっと待ってね」という若干たどたどしい日本語が可愛らしく、17歳の美少女との短い会話を存分に楽しむ。まさにおっさん冥利に尽きる。

当時、Facebookを使い始めたばかりだったので、まだ使い方がわからなかったのです。ちなみにミャンマーはインフレ率が高く、件のタバコは昨年秋の段階で1200ksしました。なんと二倍になっていますね。あと写真の回鍋肉は大好物だったのですが、現在でパイナップルを入れるようになって味が変わってしまいました。残念です。

5月13日(金)

夜中に起きて、ひょっとしてKは警察官ではないのか? という疑念が脳裏を過る。ネピドーで働いているというのだから、恐らく身分は公務員だろう。そしてビジネスパートナーを装って私に近づき、職権で以て私のFBアカウントを停止させたのだ……が、それならば途中で連絡を絶つのもおかしな話。どうせならば私と会って根掘り葉掘り私の話を聞き出し、いよいよ婚活事業に乗り出す段になって、私を逮捕すればよいではないか。それに彼女の容貌はどう見ても警察官のそれではなく、彼女がしてきた質問も国際結婚一般に関するもので、私の素性を聞き出す感じではなかった。やはり年下の女性を交えたことによる嫉妬だろうか? それにしても私のFBのアカウントを停止にかかりにくるとは、その心の暗さにうすら寒い気分になる。あんな賢そうな人がこんな真似をするのか……が、朝起きて朝食を食べ終わってパソコンを開くと、既にしてFBアカウントは復活していた。日本語能力試験の問題例をコピーして、ムスコからミャンマーのアンドロイドユーザーはmobo marketというウェブサイトでアプリをダウンロードすると聞いたので、Zoo Stationのリンク先を変える。あまりにも暑いのでタナカを買ってきて塗るが、いまいちミャンマー人のように格好良くとはいかなかった。部屋でパソコンを弄っているとKが久しぶりにログインしていた。メッセンジャーに何か書き込んだので読んでみると、仕事が忙しくて返事ができなかった、明日か明後日しか暇がないのでいずれかの日に会おうとのこと。怪しいと思ったが、明後日会うことにする。再度電話をかけてみたが繋がらない。仕方がないのでメッセンジャーの電話機能を使うと、やっと繋がったが、思いの外テンションの低い声だった。まあ英語だからかもしれないが、とにかく事態は急転直下、日曜日にKとシャングリラホテルで会うことになった。さらに近々実習生として日本に行く予定の可愛い可愛いKTTからメッセが入り、日本での緊急連絡先として私の住所・電話番号・メールアドレスを教えたことについて礼を言われる。24歳の女性が単身日本に渡るって本人も家族も不安だよねえ。実習生制度については悪い話をよく聞くので私も心配。

5月14日(土)

朝食を食べ、顔と手にタナカをべたべた塗った後、お土産を抱えてダマラキタ僧院を訪れる。相変わらずの渋滞で遅刻しないか冷や冷やしたが、なんとか約束の12時前に着く。見覚えのある子(写真)がかなり日本語を話せるようになっており、「ヤマモトさん!」と名前を間違えて挨拶してきて、しばらく談笑。僧院長も笑顔で迎えてくれる……が、教室の顔ぶれを見て愕然。人数は前と同じ40人くらいだったが、知っている顔は片手ほどしかいなかった。今度会うときはせめて半分くらい残っていたら……という私の淡い気持ちは粉々に砕け散る。特に男の子は全滅。やはり仕事しながらでは勉強に集中できないのだろうか? N先生と再会して笑顔で挨拶。授業が始まる前にM日本語学校と提携している一般社団法人ナントカの方が説明をする。本当は色々聞きたいことがあったのだけれど、真っ当な社会人の前に気後れしてできず、終始、静かに話を拝聴。説明が終わると授業が始まり、私も聴解を少し手伝った。授業が終わった後、僧院に寄付する宮崎駿作品のアニメコミックと学習漫画日本の歴史、そして先生へのプレゼントとして本を何冊かと昔インドのリシュケシュで韓国人女性から貰ったブッダガヤのブッダが悟りを開いた場所に生えている木の葉を渡す。私にとってはただの葉っぱでもリアル仏教徒たる先生(と旦那)にとっては大きな意味があるだろう。あと前来た時にここで教師をしていて、「将来自分の嫁に」とほんの少しだけ思っていた女の子へのプレゼントに日傘を持ってきたのだが、残念ながら既にして彼女の姿はなかった。これでは将来の嫁どころか永遠に音信不通である。その後の授業にも付き合った。Basicクラスが二クラス並行してやっており、相変わらずの大所帯だったが、果たしてこの中で何人残るやら。

ちなみに強者が弱者に施すのは当然と考えられているお国柄なので、寄付してもさほど感謝されず、手続きは極めて事務的に行われます。

5月15日(日)

12時にKとの待ち合わせ場所のシャングリラホテルへ向かう。相変わらず電話が通じないのでネットが通じるパソコンを持参。少し私より遅れてやってきたKは写真よりも若干老けて見えたが(写真は6年前のものらしい)、とても上品で綺麗な人だった。中のカフェで話をする。開口一番、「君は秘密警察じゃないのか?」と尋ねると、彼女は口をあんぐりと開け、「それでもいい。人権と民主化の時代がミャンマーにやって来た。考え方を変え、職業を変え、警察官から婚活業者に転職しよう!」と言ったら、ははははとさも愉快そうに笑った。どうやら杞憂だったようだ。彼女は奨学金を貰って日本の大学に留学した経験があるそうで、授業は英語だったので日本語は挨拶程度しかできなかったが、英語は語彙も豊富で文法的にも正確でとても流暢だった。私の理解度は70%くらいといったところで、私は彼女の話を何度も聞き返し、逆に彼女は私の拙い英語を馬鹿にもせず辛抱強く聞いてくれた。国際結婚一般については、ミャンマー人女性はとてもシャイであること、婚活業者というと人身売買を連想するため警戒されること、合コン形式は可能だと思うが、一度、弁護士に相談し、然る後ミャンマーで会社の登録を試みてはどうだ? とアドバイスされた。他にデータのでどころを何回も尋ねられたのが、印象的だった。どうやら国家公務員の彼女でもミャンマーの各種統計に触れる機会は乏しいようだ。なぜ私の話に興味を持ったのか尋ねると、彼女は率直に「お金が欲しいの」と答えた。正直でいい。結婚したいとは思わないか? と尋ねると、やはり「したい」と答えたが、相手がいないのだという。上方婚志向から逃れられないのはミャンマー人女性も同じのようだ。最後に彼女は「なんでこんな見通しの分からない仕事をし始めたの?」と尋ねてきたので、私はこう答えた。「晩婚化・非婚化の問題について大学教授は論文を書く。新聞記者は記事を書く……けれどもそれでは何も変わらないじゃないか。誰かが行動しなければならない」と。ひとしきり話し終えると、二人でシュエダゴォンパヤーへ。強烈な太陽光線に照らされた床は熱くてたまらなかったが、彼女のガイドで見学して回った。メインのブッダの仏像の前で正座して腰を曲げて祈る彼女の姿は本当に美しかった最後に屋台でココナッツジュースを飲み、二人で写真を撮って散会。ほんの少し前にネットで知りあった異国者同士で、本当にいい時間を過ごせた……と感慨に耽ってばかりもいられないのが残念。疲れきって宿に帰ると、遥か昔にメールを出した中国系の21歳のミャンマー人女性からメールが入っていた。都合が合えば、彼女とも会おうと思う。

この中国系の21歳のミャンマー人女性って誰だろう?……思い出せない。 😆

5月16日(月)

朝食を食べた後、弁護士を紹介してもらおうとI氏に電話をかけるが、なんとも素っ気ない対応。ショートメールに入れておくと言ったが、案の定、返事はなかった。商人の掌返しには慣れているが、何回味わっても嫌なものねえ。その後ネットで見つけた日本人法学者の方が関わっている法律事務所に徒歩で赴く……が、辿り着かない。途中、タクシーに乗るが、それでも辿り着かず、一旦、宿に戻る。パソコンで事務所の住所をたしかめると、なんとストリートの番号を間違えるという失態を犯しており、もう一度、今度はタクシーで赴く。88番ストリートの11番地……と住所を辿っていくと、柄の悪そうな地域に入り込む。果たしてこんなところに法律事務所などあるのだろうか……と進んでいくと、あった。88番ストリートの11番地。

ということで、徒労感いっぱいで宿に引き返してふて寝。6時頃目を覚ますと外から大阪弁が聞こえてきたので、部屋を出ると、隣の部屋に日本人男性がいた。Tさんといって、年齢は80歳、大阪で安かろう悪かろう的なスーパーを経営しており、一年に数回一ヶ月単位で海外旅行をしているのだという。バックパッカー宿に泊まっているお年寄りは大抵大金持ちか高学歴者だ。夕食から帰ってくると、また道端でTさんと擦れ違い、ひとしきり商売の話を捲し立てられる。「本気で話してるんやで」というのが彼の口癖で、最後「橋下さんは神様や!」とのたまった。大阪都構想にも諸手を挙げて賛成していたらしい。橋下維新的ネオリベラリズムがどの層に訴えているかよく分かろうというものだ。

それにしても昔はくさるほどいた若者のバックパッカーの姿を全然見ない。ホワイトハウスで見た日本人は例のボランティアサークルの学生以外は全員60歳以上だった。グローバル化の波に乗っていない若者はやはり賢い!

5月17日(火)

パソコンのUSBと電話の調子がおかしいので、修理に持っていく。電話は単にトップアップカードが切れていただだった。その後、ホテルの近くにある弁護士事務所が軒を並べているというビルへ。たしかに事務所はいっぱいあり、そのうちの一つの事務所に入る。応対してくれたのは恰幅のいい初老の弁護士。色々質問すると、彼は訛りの強い英語でベラベラ喋り始め、まずは会社を設立すること、なんとかという日本企業が沢山入っているビルの近くのオフィス街に日本語を話す若いミャンマー人女性が沢山いるから彼女たちをスカウトすることなど色々とアドバイスをくれた。他にも日本の農家はフィリピン人を嫁さんにしているなど、さすがインテリなだけあって色々なことを知っていた……が、肝心の法律知識がいまいち頼りなく、明日出直すことにする。弁護士といってもミャンマーのそれは、日本の行政書士レベルのようなんだよね……一週間の疲れがドッと出て、夕方頃、ホテルに帰って爆睡。

第二回ミャンマー視察(2016年5~6月)(2)

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